トップ > 食を、知る・楽しむ > しょうゆのすべて > 世界で愛されるしょうゆ > 「しょうゆの国際化」の黎明(江戸時代)

「しょうゆの国際化」の黎明(江戸時代)

「しょうゆ」は日本の食文化の象徴のひとつとしてあげることができます。このもっとも日本的なものが今や国際的なものになっていることは、ご承知の通りです。ここでは主に、近世以降、日本のしょうゆが海外に拡がっていった足跡をたどっていきます。

長崎から、アジア、オランダへ

しょうゆの国際化の始まりは、江戸時代までさかのぼります。江戸時代、海外との唯一の窓口であった長崎からしょうゆが輸出されていました。オランダ船と中国船によって運ばれたしょうゆは、主に中国本土、東南アジア、インド、スリランカなどで使われていましたが、一部のしょうゆがオランダ本国まで運ばれ、貴重な極東の調味料として珍重されました。

最近の研究によると、1737年(元文2年)から1760年(宝暦10年)までの24年間(うち1738年は不明)に、約15,570リットルのしょうゆがオランダ本国へ運ばれたことが判っています。これは、年平均で約 707リットルの量です。

※この当時の貿易は、「本方荷物=ほんかたにもつ」(公式な貿易品)と「脇荷物=わきにもつ」(船員らによる私的貿易品)に分かれ、上記の数字は「本方荷物」によるものです。

品質に優れた「日本しょうゆ」

昔から日本のしょうゆの品質が大変優れていたことは、西欧の文献からもわかります。1775年(安政4年)から1年あまり、オランダ・長崎商館の医務員として勤務した、スウェーデンの医師で植物学者でもある、ツンベルクが書いた『ツンベルク日本紀行』には、日本のしょうゆについての記述があります。

「(日本人は)非常に上質の醤油をつくる。これはシナ(中国)の醤油に比して遙に上質である。多量の醤油がバタビア(ジャカルタ)、印度(インド)、及び欧羅巴(ヨーロッパ)に運ばれる。」(『ツンベルク日本紀行』 山田珠樹訳)

また、フランスのドン・ディドロが編集した『百科全書』第15巻(1765年刊行)にも、日本のしょうゆについての解説文が掲載されており、当時ヨーロッパでも一定の評価を受けていたことがうかがい知れます。

日本人が調理に使用し、アジア人に人気の高いソースの一種である。オランダ人もまたこのソースを高く評価し、自国に持ち帰った。(中略)中国人もSOI(ソイ=しょうゆのこと)を製造するが、日本のものの方がより優れているとみなされている。(後略)

(『百科全書』キッコーマン国際食文化研究センター訳)

ルイ14世もしょうゆを使っていた?

この時代、オランダ人によって西欧へ運ばれた日本のしょうゆは貴重品であり、かなり高い値段で取引されていたと思われます。確かな記録は残されていませんが、かの太陽王ルイ14世の宮廷料理には、日本のしょうゆをかくし味として使っていたと伝えられています。この逸話は、日本のしょうゆが高価で貴重だったこと、そして、優れた品質であったことを語っていると考えられます。

「コンプラ瓶」

長崎から輸出されたしょうゆのほとんどは、樽に詰められて送られましたが、樽以外に特別の容器に詰め替えて輸出されたものもありました。いわゆる「コンプラ瓶」(約3合=約 540ミリリットル入り)です。一般的にいうと「コンプラ瓶」とは、伊万里や波佐見で焼かれた徳利型の陶磁器で、酒やしょうゆの輸出に用いられた容器のことです。

「コンプラ」とは、ポルトガル語の「Comprador(コンプラドール)」の略で、「買い手」の意味です。長崎の出島のオランダ人たちの意を受けて物資を調達する商人を、別名「コンプラ商人」と呼んでいました。ここから「コンプラ瓶」の名が出たといわれています。

「ケルデル瓶」

「コンプラ瓶」が登場する以前は、「ケルデル瓶」と呼ばれる四角いガラス製の瓶が輸出に用いられていました。やがて「ケルデル瓶」が不足し、それを補うために「コンプラ瓶」を用いましたが、後には「コンプラ瓶」だけになりました。

本来「ケルデル瓶」には、ブランデーやリキュール類、蒸留水などを入れて、オランダ本国から世界各地のオランダ商館に送られていました。長崎では、この空瓶を利用してしょうゆを送ったのです。

輸送のための工夫

前述の『ツンベルク日本紀行』のなかにも書かれていますが、「コンプラ瓶」にしょうゆを詰めるとき、オランダ人たちは、品質が劣化しないように工夫を凝らしました。まずしょうゆを煮沸してから瓶に詰め、栓をしてそこに瀝青(れきせい=コールタール)を塗ったのです。

このようにしてしょうゆは、赤道直下や遠くヨーロッパの国々まで、劣化することなく運ばれていきました。

和蘭(オランダ)人は醤油に暑気の影響をうけしめず、又その醗酵を防ぐ確かな方法を発見した。和蘭人はこれを鉄の釜で煮沸して壜詰とし、その栓に瀝青(れきせい)を塗る

(山田珠樹訳『ツンベルク日本紀行』)

このページのトップへ