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料理のことわざ ま行
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| 現在のようなすりみそのない時代には毎日粒みそをすりばちでこすったものを用いた。みそをするにはすりこ木を使うので、ほんの少しずつでも減ってゆく。その減った部分はみそ汁の中に入っているわけだから、毎日すりこ木を食うことになる。これは中国でできた言葉である。 | |
| 時世に適さない、食用にならないなど値打ちのないもののたとえ。舞々とは幸若舞である。声明(しょうみょう)とインド相伝の梵唄(ぼんばい)の曲節をとり入れて、軍記物語を太鼓小鼓にあわせて謡い、舞う者は立烏帽子に大口袴を着用して扇拍子で行うものであるが、後にすたれてしまって見る人はほとんどいなくなった。 また、ここでいうすし飯は自然発酵のすし飯を作る際、加える飯のこと。発酵促進のために用いるものであるから、食べないで払い落としてしまう。それに一種の臭気もあるし、犬も食わないのは当然である。 |
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| よく使う言葉である。種をまいてこそ芽が出るのであって、原因なくして結果はないということ。 | ||
| 人をだますことをいう。「まぎら」は紛(まぎらわ)しい、ごまかしの意である。 | ||
| まくわうりの皮は、厚くむいた方が味がいい。物をケチケチしない大名にむかせると、厚くむくから具合がいい。物にはそれぞれの特性があるからそれに応じた処置をしないといけない。 | ||
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| 天下の名刀正宗を菜切り庖丁の代わりにしてだいこんを切るのは、用途を誤っていることになる。それと同じで用い方の誤っていることをいう。 | ||
| 升で正確に量っておきながら、箕でざっと量って、こぼしてしまう。箕は脱穀した籾殻をふるいながら取り去る道具であるが、穀粒をいくらか無駄にこぼしてしまう。「爪で拾って箕でこぼす。」ともいう。 つつましく貯めたものを無駄に使ってしまう意に用いる。 |
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A Watched Pot(Pan)is long in boiling. |
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| 何事も待っている時間は長い。「鍋を見ていてもなかなか煮えない」というのもある。 | |
| まな板の上にのせられた鯉は絶体絶命だが、さすがは川魚の王様で従容としていて、じたばたしないという意味。 人間もいざという時には覚悟をきめて、泰然としているべきだということのたとえ。 |
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| 寝ると、練るとをきかせた秀句。 | |
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| 豆がもるような粗雑な作り方の食器。 | |
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| 八月十五日の名月・芋名月に対して九月十三日の名月を豆名月という。月に豆を供えるので、この名ができた。 | |
| 予想通りにならず、まるで裏腹の結果を得ること。 | |
| 豆と水だけの最低生活をしていながら親孝行をして父母を喜ばせることをいう。出典は、「礼記(らいき)」。 | |
| 豆を煮る燃料に豆がら、すなわち豆のさや、枝などを用いる。豆にしても、豆がらにしても元は同じ根から生じたものである。従って兄弟や一族が相争うことのたとえに用いる。中国の昔、三国時代に魏の文帝は弟の曹植にいきなり難問を出し「七歩あるく間に即興の詩を作れ、もしできなければ殺す」といった。驚いた曹植は次のような詩を作った。「大豆を煮てあつものを作る。豆をこして汁を作る。豆がらは釜の下で燃え、豆は釜の中で泣いている。もとは同じ根から生まれたのに、私を煮るのに何故そう急ぐのか」 これ以来、曹植を「七歩の木」と呼んだが、転じて、詩文の才能ある人を指すようになった。 |
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| 豆を炒るとパチパチ音がする。口やかましく、せわしく小言を言うことのたとえ。 | |
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| 馬が調子よく歩く姿をいう。また碁を早く打つこと。 | ||
| この句につづいて「ものもいいようで角が立つ」といういい方をする。 | ||
| 自分が前に覚えておいた事柄。 | ||
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| 盃一杯の酒を、ぐっと気持ちよく飲みほすこと。 | |
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| 人体を乾上げてミイラにしたものを薬用として食べる国があった。大金を持って高価なミイラを買いに行くと、ここにはいない、といって人里離れたところに連れて行き、ミイラ取りに行った人を殺してミイラにしてしまった。ミイラの語源はスペイン、ポルトガル、イタリアなどで使われるミルラが転じたといわれている。 これから転じて人を呼びに行ったまま帰ってこないことをいう。とくに遊里などの場合は迎えにいった者が面白くなり、とまってしまうことも多いようである。 | |
| 何事も時節がくれば成るということ。 | |
| 仲むつまじいこと。友人間の仲のいいのを水魚の交じりという。「水の民」という 魚の異名がある。 |
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| ひそかに悪いことをしていながら、外見は善行をしているよう装うこと。 | ||
| できないことをいう。 | ||
| 生活上の世話をすることをいう。 | ||
| 寺院の炊事雑役などをする下級僧。また僧をののしっていう場合もある。 | ||
| みそ料理は昔、いいものとされていたからこういったのである。「みそ菜食えば倉を得建てぬ」という言葉もある。 | |
| ふだん、だらしない者、能力のない者が時に賢いことをいう。 | |
| 「みそのみそ臭きは上みそにあらず」ともいうようにみそは臭くない方がいい。これは人にもあてはまる。 | |
| みそ豆の味のよさをほめている言葉。 | |
| 自慢することをいう。「根無草」に、「味噌を揚げるとは、自慢をいえる東都の俗言也」。 | |
| 投資した金は再び手許に戻る。 | ![]() |
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| 骨でも料理してなますにすれば、捨てるところなく使える。同じように何でも考えて用いれば無駄なく使えるものだ。 | ||
| 相好をくずすこと。 | ||
| 花より団子と同意。一休和尚と、ある修験者の前に犬が現れた。 修験者は祈りで犬がほえるのをとめようとしたが、できなかった。 これに対して、一休和尚がにぎりめしを与えるとすぐにほえるのをやめたという。 | ||
| おもしろい話を聞くこと。 「耳に釘」は苦言を呈することをいう。 | |
| 釈迦の弟子槃特は、物忘れをする名人で、自分の名前をきかれてもすぐ返事ができなかった。人が気の毒がり、首から板をぶらさげそこに自分の名前を書いておけばいい、というのでいう通りにしたが、ついにはそのぶらさげている板のあるのまで忘れてしまう有様。 槃特が死んでその墓に生えたのが「みょうが」であったから、あの草を食べると物忘れするから気をつけろというようになった。しかしこれは俗説で、いくらみょうがを食べても物忘れの心配はない。 | |
| そうめんの太さに、太い奴という言葉をかけたもの。奈良県磯城郡三輪町のそうめんは、太くて、味がいい。 | |
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| 昔、盛んであったものも、時代が変ると、勢力がすっかりなくなってしまう。「昔の長刀(なぎなた)今は菜刀」ともいう。 ところで菜刀は、野菜類を料理するための刃物であり、庖丁刀は動物性の材料を料理するもの。まな板も、元来は庖丁刀の相手方として、真魚(まな)を割くために用いる台や板のこと。菜刀には、菜板を用いた。 |
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| 物は用途によって、万能とはいかないということ。 そくいは飯を練って作る糊。そくい付という言葉が一般に使われていたのは、大正の頃までであった。麦飯は粘り気がないから、そくいにはならない。 |
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| 麦飯は三日であきてしまうが、米の飯は二十日食ってもあきない。 | ![]() |
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| この二つの味は淡白で、いくら食べてもあきない。 「麦三日米二十日」とは対照的な言葉である。 |
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| えびで鯛を釣るというのと同じ。 「信州川中島合戦」に「摂津河の淵には麦飯で鯉釣ると聞きしが、越後の国には老いならぼいし、此姿を餌にして、山本勘助を釣りよせんとは」とある。 |
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| 麦のできる時期は、鯛がちょうど産卵を終えたときで、非常に味が悪い。草食動物の馬は、どんなに味がよくても魚肉は食べない。食べないことを強調するために、馬を引用したのである。 | |
| 仕事はなにもしないで、毎日飲んだり食ったりぶらぶらしていること。 | |
| 何事も後味のよさは、印象に残っていいものである。特に食物は、食べた後でゲップが出たり胃がもたれたりしてはいやになる。 それこそ後味が悪いというもの。転じて、いやな人、その言動などを極度にきらうこと。 |
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| ちょっとむせたからといって、食事をやめてしまうのは、行き過ぎもはなはだしい。 ささいなことのために大切なことを全部忘れてしまうのは、愚の骨頂である。出典は、「准南子」。 |
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| 有明海特産のはぜ科の魚。泥海に住み、干潟をはねまわるので、九州では子供が泥だらけになることをいう。 | |
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| 仏教で無明とは、暗いことや、愚かさをいう。愚かさで酒に酔ったように何もわからなくなっていること。 | |
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| 茶を飲むこと。 杜甫「落日平台上、春風啜茗時」。 |
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| 人の命は食物によって保たれているものだ。 「毛吹草」に「命は食にあり、冶は事にあり」とある。 |
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| 「名物にうまいものあり」ともいう。皮肉なのは「名物は聞くに名高く、食うに味なし」。 | ||
| 牝牛の角は曲っているので、突かれる心配がないと油断していると、何かのはずみでやられることもある。転じて人を信用していると、不意に裏切られることがある意。 | ||
| あり得ないことのたとえ。牝牛の角は曲っているので定規にはならない。曾呂利新左衛門の狂歌「世の中に女の心直なれば、女中の角や定規ならまし」。 | ||
| 見た目がきれいであると、食欲が出てくるものである。 | ||
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| 目が見えないから、食べさせたものが何の果物かわからない。つまり、物の判別のつかないこと。 | ||
| 麦飯で鯛釣るともいう。小さな元手で大きな利益を得ること。 | ||
| 明治大正頃までは、飯を早く食うのも芸のうちといった。道を行くのも早い方がいいので、この両者を並べたのである。 | ||
| 山口素堂のよく知られた句である。 鰹は回遊魚であるから一ヵ所に止まってはいない。十月末、台湾沖に集結した鰹の大群は太平洋を日本沿岸に向って北上し、一月には鹿児島沖を通過するので、鹿児島では寒中に初鰹が楽しめるし、鰹節の製造も始まる。鰹の群が土佐沖、紀州沖を通過して相模の海に来るのは青葉の候となる。「目に青葉」の句はそれを詠んだもの。 鰹のように、表面が青光りして、肉が赤身を持つ魚は、昔は下魚とされ武士や貴族は口にしなかったが、鎌倉武士は何事にも言葉の縁起で、鰹を大いに食べた。「かつお」は勝男に通ずるからである。 |
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| 目もとにあいきょうのあること | |||
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| 女房が、こうしたらいいでしょうとアドバイスするのを、亭主が受入れて行動に移すこと。 | ![]() |
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| 一言でものを知らないことがわかってしまう。言葉はつつしむこと。 「論語」に「一言以為知、一言以為不知、言不可不慎也」。 |
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| 食物を飾り立てたり、色を加えたりして見た目を美しくしながら、味は全然顧みないこと。 また、衣装の場合は、流行を聞いて飾り立てているが、耳から聞いてやっているだけで身体に合っていないこと。出典は「迂書」である。 |
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| 旧態をそのまま残していること。 | |
| 正月十五日に、餅と小豆を入れたかゆを作る。その一部を残しておき、十八日に食べておくと夏、毒虫にさされないといういいつたえがある。 | |
| よいものの中に悪いものが少々まじっているたとえ。越中で使われる。 | |
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餅は何度も裏返して焼くほうがいいが魚はそうしない方がいい。 |
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| 餅腹七日ともいう。腹持のいいこと。 | ||
| 餅屋は商売用の餅に食いあきているので食べない。 「紺屋の白ばかま」。昔は「かご屋かご乗らず」という言葉もあった。 |
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| 専門の技術や職業を持つものは、めいめい、特技を持っているから仕事はそれぞれの専門家に任せるのがいいということ。「餅は餅屋」ともいう。 | |
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| 主たるものより、従たるもののほうが高くなるたとえ。 | |
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| 主たるものよりは、従たるものに費用を多く費やすこと。 「餅より粉にいる」も同じ意味。 |
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| 過言を慎めということ。菜の方は時と場合で必ずしも残さないほうがいいこともある。 中国のエチケットとして「会食の場合には一皿の三分の一を残せ」というのは別室に随行者、従者などがいるためである。 要するに、いい方も食べ方も制限するのは、時と場合という条件つきで行うべきであろう。 |
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梅はすいとて十三年 |
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| 果樹が成育して実を結ぶようになるまでの年月。 | ||
| 自分の股肉をさいて自分の腹に充たす。これでは、利益にならない。 この他、中国には「股を割いて君を輔(たす)く」などの故事がある。 | ||
| 社会の荒波にもまれて、立派な人物になっていくことのたとえ。 | ||















