キッコーマン食文化講座

中国の食文化が日本に与えた影響Ⅲ ~戦後日本における中国料理の受容と湯島聖堂~

日程 2017年5月20日
場所 東京本社
講師 大塚秀明先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター

0.フードカルチャーNo.27の記事紹介

1月の餃子、3月の蕎麦うどんの話に対して本日は日中関係史、あるいは中国現代史です
日本の「戦後」1945年8月~ と中国の“解放前”“解放後”~1949年10月~、そして東京オリンピック1964年と“文化大革命”1966~76年。あわせて“香港回帰”1997年

1.「支那」の排除:国民党政府から

1946年6月6日外務次官は、各新聞雑誌社・出版社にむかって、また7月3日文部次官は各大学・専門学校にむかって「支那の呼称を避けることについて」という公文書を出した。

中華民国の国名として支那をつかふことは過去に於いて普通おこなはれてゐたのであるがその後これをあらためられ中国等の語が使はれてゐるところ支那といふ文字は中華民国として極度にきらふものであり現に終戦後同国代表が公式非公式にこの字の使用をやめて貰ひ度いとの要求があったので今後は理屈をぬきにしてその方のいやがるものは使はぬ様にしたいと考へ念のため貴意をえる次第です
要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辞例としては
中華民国,中国,民国
中華民国人,中国人,民国人,華人
日華,米華,中蘇,英華
などのいづれを用ひるも差支なく唯歴史的地理的又は学術的の叙述などの場合は必しも右に拠り得ない例へば東支那海とか日支事変とかいふことはやむを得ぬと考へます。
さねとうけいしゅう『増補 中国人日本留学史』くろしお出版 1972年

(1)「支那」という呼称はなぜ蔑称になったのか

どうでもよかった隣人(陳舜臣『日本人と中国人』祥伝社 昭和46年)
圧倒的な文明の差による劣等感、1894年の日清戦争の勝利、その裏返し

(2)「支那」の来源

秦の始皇帝(秦始皇Qinshihuang)の“秦”が印度で*シナと呼ばれ“支那”と表記
cf.日本では中国を「漢字」「和漢洋」:「唐人」「唐辛子」:「南京町」「南京豆」
英語のChinaも*シナから作られた。チャイナ、シナには毀誉褒貶のニュアンスはない
戦前にも支那をめぐり議論が見られた。鳥山喜一『支那・支那人』岩波新書 昭和17年
戦勝国から敗戦国への要求

(3)「支那料理」に替わる「中国料理」と「中華料理」:両者の違いは?

多くの分野では通達の通りに行なわれた(支那語→中国語)が、住み分けも見られる
支那蕎麦→中華蕎麦、支那鍋→中華鍋;支那人→中国人、支那哲学→中国哲学
「料理」では各国という環境であれば「中国料理」、和食・洋食と来れば「中華」…?

2.戦後東京の中国料理は田村町から:共産党政府から逃れて

戦後の日本は、中国資本による中華料理店が非常にふえている。これは中国本土、香港、台湾などから、それらの土地柄の不安を反映して、一種の資本逃避というような形で、東京に移ってきた中国資本が、そういうふうにしてその温存を計ろうとしているからだ。
田村泰次郎「銀座」『東京味覚地図』河出書房新社 昭和33(1958)年

(1)宴席中国料理店の開業ラッシュ:『中国菜』第4号1961年12月附録

1955年に中国飯店・赤坂飯店、1958年に四川飯店・樓外樓飯店、1961年に留園開業
盛毓度『新・漢民族から大和民族へ』東洋経済新報社1978年:漢冶萍鉄鋼公司創業者の孫
田村町:老舗がひしめく銀座、三菱が占有する丸の内に対し、土地取得が容易であった

  1. 1外来語としての「飯店」:現代中国語“飯店”fandianはホテルの意“北京飯店”“王子飯店”など、上記の「飯店」は本義に近いレストランの意。戦後日本語における新語
  2. 2宴席料理とは異なる大衆料理:餃子の流行(泰次郎「餃子時代」、百間「第三阿房列車」)、ラーメンの隆盛(支那蕎麦に替わり、そば粉を使わない蕎麦から「麺」への道を拓く)
  3. 3戦前からの中国料理店
    銀座アスター1926年創業:アメリカンチャイニーズ
    崎陽軒シュウマイ1928年販売開始:「崎陽」とは長崎の異称
    スヰートポーツ1936年創業:神田神保町、漢字で書くと“是味多包子”shi wei duo baozi
  4. 4現在の西新橋:残るは新橋亭(1946年創業)

(2)中国マダムや中国人シェフのテレビ人気

  1. 1戦前日本の留学体験:東北生まれの名家一族
    馬煕純氏のご主人は王遵但氏(留園の総支配人)、遅伯昌氏のご主人は馬煕純さんの兄である馬煕鳴氏。戦後は日本の皇族や大使館の夫人たちと中国料理を通して交流を深める
  2. 2陳建民:四川生まれの料理人
    『さすらいの麻婆豆腐』平凡社1988年、四川飯店からは中国人日本人の料理人が輩出
  3. 3NHKきょうの料理:テレビ料理番組の威力
    和食・洋食・中華、この3本立ては明治初期の料理本から見られる
    めちゃくちゃ辛くない麻婆豆腐(マーボトウフ)、日本人好みの汁あり担担麺(タンタンメン)
    チンジャオロース、ホイゴーロなどの中国語料理名の普及はテレビコマーシャル

3.日本人による中国料理紹介:湯島聖堂にて:反共でもなく親共でもない

(1)原三七創設のカルチャーセンター:書籍文物交流会中国料理部

論語孟子、李白杜甫、中国料理、チャイナドレスなどの講座開設:料理部は幸田松子主任
1960年 料理講習会発足、月3回の定期講習会のほかに出張講習、臨時講習会
8月『中国菜』創刊:1967年第7号終刊、執筆は原三七の東大、北京時代の人脈→附録
9月『中国料理の手引』発行:1964年には増補版、料理本編集者のネタ本になる
1965年第一回中国料理夏期講習会開始:1975年まで継続

(2)中国料理研究会の聖堂から独立

1977年第一回中国料理夏期講習会:パンフレット
木村春子氏を代表として2014年まで37年続く、惜しまれながらも解散
東京を中心に中国料理店を探訪、1996年には北京講習会を開催
『中国料理研究家のための中国料理用語1000語』テープ吹込 中山時子
木村先生も本講座の講師に:『フードカルチャー』No.22「中国の食――首都北京の今昔」

(3)湯島聖堂から育った料理人

  1. 1小笹六郎氏:柏で知味斎を開業、『中国野菜の本』文化出版局 1983年
  2. 2山本豊氏:吉祥寺で知味 竹爐山房を開業、『野菜の中国料理』柴田書店 2000年

ともに理論派:書物と厨房、回り道のようだが中国語を先ず学び、レシピを読む

4.新中国での料理本の出版:共産党政府から恩恵と60年代の熱気

(1)《中国名菜譜》全11巻の出版と中山時子先生グループによる邦訳

  • 1949年から56年まで実施された社会主義的改造:企業所有者からの工場店舗の買い上げ
  • 秘伝料理法の全人民所有制:有名レストランの料理法の公開、《中国名菜譜》が1957年から60年までに10冊、65年に第11輯が刊行、軽工業出版社。日本の各地で翻訳され、1972年73年には中山時子訳として『中国名菜譜』東西南北他の5分冊が柴田書店より巨冊刊行
  • 中国の1966年から10年間の文化大革命による経済文化の停滞にも、食文化関係の出版物収集と翻訳作業が1988年3月刊行『中国食文化事典』角川書店として結実、同年12月には『老舎事典』大修館書店の刊行、ともに中山先生のお茶の水女子大学退職記念

(2)香港発の満漢全席:1965年日本からの参加者

木村春子1995「日本人の海外渡航の規制が解かれ…昭和40年…中山時子氏は,香港で『満漢全席』を食べる目的のグループを作り…日本から『満漢全席』を食べに来たとあって現地の新聞が写真を撮りに来た」とあり、日本での受容に中山先生の貢献が見て取れる。
また渡邊喜惠子「満漢全席の旅」『あまカラ』1965年8月から10回連載もある

  • 週刊誌などで取り上げられる:驚愕「女性セブン」1968年5月
  • 人民からの視点:満漢全席などという馬鹿げた宴会は、香港どまりであり
    大久保恒次「解放された中国料理」『食味求真』柴田書店 1966年

中山先生の姿勢:毀誉褒貶はべつにして中国伝統料理の紹介に努力
1965年4月に非売品『満漢全席』発行 書籍文物交流会中国料理部
40年後の2004年に石毛直道・熊倉功夫両氏との鼎談

なお『広辞苑』第6版(2008)より早く『大辞林』初版(1995)に「満漢全席」が収録された。

(3)“文化大革命”の終焉から改革開放

1980年専門雑誌《中国烹飪》Zhongguo Pengren ホウジンの創刊、中国商業出版社
「割烹」かっぽう:包丁で切る+火で煮る
両岸交流:1995年創刊の季刊誌《中国飲食文化基金会会訊》台湾の研究組織

5.まとめと余談

原三七のことば「食を知らずして中国文化を語るなかれ」を実践
現代小説家老舎lao she、古典小説紅楼夢hongloumeng、中国伝統宗教である道教、食文化でも家庭料理から宮廷料理まで、矛盾なく興味を示され研究されていた。

中山時子学:「この道一筋」とはちがった93年、一人の女性と二つの文化
中国食文化関係書籍が散逸することなくキッコーマン研究センターに寄贈

特色ある蔵書構成:
共和国建国から改革開放以前の中国食文化関係書籍を研究者の視点を通した収集
目録作成、ネットでの公開、個人蔵書の収蔵ノウハウの蓄積

どうぞ野田の研究センターにお越しください…本日の眼目。

余談
  • 小麦が来た道をジープで走破:碾き臼を求めて
    昭和52(1977)年夏、イタリアローマからインドカルカッタまでジープの旅
    中山時子『私のシルクロード:炎熱土漠を走破して』柴田書店 1979年10月
  • 中国料理における点心への注目
    木村春子氏との共著『点心の知恵・点心のこころ』日本放送出版協会 2006年7月

参考文献(上で言及されたもの以外の文献)

王馬煕純『中国料理』柴田書店 1958年6月
保育社編集部『日本で味わえる世界の味』保育社 1969年5月
木村春子「日本の中国料理小史:戦後50年の鳥瞰図」『専門料理』 1995年4月から12回
中山時子ほか「中国の歴史を映す宮廷料理と満漢全席」ヌードル・ドット・コムNo.20 2004年12月
馬遅伯昌『十年樹木 百年樹人』講談社 2007年8月
『中国菜』第4号 書籍文物流通会 1961年12月
『料理王国』2008年6月号:日本の中国料理100年史特集
『きょうの料理2015』5月号 NHK出版 2015年4月
『専門料理』2016年5月号:専門料理50年を彩った料理たち