キッコーマン食文化講座

日系人に見る日本食の伝承と変容 ~ブラジル・アメリカのレシピ集をもとに日本食の変遷を探る~

日程 2018年3月24日
場所 野田本社
講師 小嶋茂先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター
公開講座の様子

海外の日系人社会では、戦後になるとたくさんのレシピ集が発行されている。ブラジルやアメリカで収集したレシピ集をもとに、日系人のあいだで日本食がどのように伝承され、また変容しているかを調べるとたいへん興味深い。レシピ集は、主に様々な日系人団体の婦人部あるいは宗教団体の活動の一環として出版されることが多い。1)日系婦人による日系人のためのレシピ、2)移民文化紹介の一環として食の紹介、3)現地生活ガイドとしての食文化編、4)日本食・日本料理(健康食・ローカル食)の一般人への紹介などに分類できる。日本と異なり海外であることから、レシピは単にレシピであることに留まらない。婦人たちは、旬のモノ地元のモノを最大限に生かすことを考えて工夫し、「お母さんのご飯」の味を深い愛情とともに子どもたちに思い出してほしいと願いレシピ集を編んでいる。

そうしたレシピからは、どのような食材ならば入手可能かから始まり、その土地における食生活の基本とも言うべき記録を見出すことができる。日本の食材がない場合に、どのような工夫がなされているのか、日本における日本食との違いは何か。また、どのような言語で書かれているか、例えばブラジルの場合であれば、コロニア語と呼ばれる日伯混合語で書かれていることは、社会言語学的研究資料としてもたいへん興味深い。さらには、同じ団体が時代を経ながら何回も出版している場合、その変遷は食生活の変化も反映している。例えば、漬物類のレシピの変化や料理名称表記の変化、レシピ作成者の変化である。

公開講座の様子

漬物類レシピは、1940年には福神漬けと塩漬けしかなかったが、1955年には粕漬け・茄子漬け・巻漬け・沢庵漬け・ラッキョウの酢漬けなどが採録され、1983年になると再び福神漬けとラッキョウの酢漬けだけとなっている(佐藤初江著『実用的なブラジル式日伯料理と製菓の友』)。これは、時代に関係なく福神漬けとラッキョウの酢漬けの需要が高いことや、1950年代以降戦争中の混乱を経て日系人が自分たちの生活を取り戻していく中で、各家庭でできることに取り組んでいったこと、さらには1970年代以降二世の時代へと移行し、食品製造業も発展する中で、手間をかけて作る食品が限られるようになったことなどを示している。料理名称表記の変化に関しては、日本語名称の音訳が次第にそのまま使われるようになる。これは日本食ブームとともに、食材や料理名がそのまま日本語で理解されるようになったことを示している。レシピ集には各レシピ提供者名が記載されていることが多いが、当初は移民である一世のよるものがほとんどである。しかし、次第に現地語の名前をもつ二世が増えていき、その次の段階には日系人以外も登場する。つまり、日本食の広がりが食する立場から、作り提供する立場へと進化する過程もそこに読み取れる。

また、レシピの詳細を見ると、例えば同じスキヤキでも一世のレシピと二世のそれでは食材が異なり、調味料の割合や分量などが異なったりしている(『Oriental Recipes 東洋料理 by the Veleda Club』)。材料や味付けの好みに変化が表れているわけで、日系人のとくに二世以降の世代が、現地で一般的に好まれる味覚の方に惹きつけられていることが分かる。これはある意味当然のことだが、国際比較を試みるとたいへん興味深い。あるいはまた、日本にいる私たちでは到底思いつかないようなレシピも見受けられ、そこには創造性が感じられる場合と、本家本元として受け入れがたい壁を感じるようなケースもないわけではない。いずれにせよ、食は生き物で、常に変化しながら進化し、影響を与え合っている。レシピ集を残すという営みが貴重な歴史記録であることは間違いない。