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過去の展示

江戸時代のしょうゆ輸出について


コンプラしょうゆ瓶(2)
熊本県・天草の元公証役場公証人で郷土史家の故市川正雄氏の研究によりますと、「コンプラ瓶」にも前期と後期がある、ということです。
「コンプラ瓶」は、いずれも徳利型をしており、肩の部分に「JAPANSCHZOYA」ないしは「JAPANSCHSOYA」と書かれています。前期のものは、この文字が手書きで、地肌がやや灰色を帯びた白磁風の瓶です。今回、展示してある3本の「コンプラ瓶」のうち2本が、この前期にあたるものです。
また、前期のうち1本は地肌の色が黄土色で、白磁風のものより、さらに古いものといわれています。
後期の「コンプラ瓶」は、捺染方法で「JAPANSCHZOYA」と書かれ、その下に「CPD」の文字が書かれています。「CPD」とは「Comprador(コンプラドール)」のC、P、Dを組み合わせたモノグラムであるといわれています。
そして「CPD」の反対側に円型または楕円型の商標のようなものが描かれています。この商標らしいものにも2種類あり、すべてアルファベットだけで書かれているものと一部に「長崎金富良商社」または「長崎金富良商店」と漢字で書かれているものがあります。山脇先生の研究によりますと「商社(店)」という言葉は、明治になってから使われるようになったということです。
したがって、この漢字の入った商標(?)のある「コンプラ瓶」は、後期のものでも明治期のものであることが判ります。
また、容量についてはかなりまちまちで、例えば野田市郷土博物館に展示されている瓶は575mlのものもあり、460mlのものもあるそうです(田中則雄著『コンプラ醤油と東葛地方の醤油』)。また、山脇先生によると、輸出されたしょうゆの容量と瓶の数から計算すると、1本の容量は約522mlである、ということです。
一方、「Panel-8」でも触れましたが、同型、同目的で使用された「酒用の瓶」には、やはり肩の部分に「JAPANSCHZAKY」という文字が書かれています。
コンプラ瓶 CPD


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