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『食道楽』に学ぶ

『食道楽』に学ぶ
2005年7月「食育基本法」が施行され、広く「食育」という言葉が知られるようになり、各方面で「食」に対する取組みがすすめられている。「食育」という言葉は、いつから使われているのだろうか。この言葉は、明治時代後半にベストセラーとなった村井弦斎 げんさい が著した『食道楽 しょくどうらく 』によって、当時広く世間に知らされた。同書の中で、「小児には徳育よりも知育よりも体育よりも食育が先き」と述べている。また、「食物の原則」では、現代の食育の大原則となっている「地産地消」の重要性もすでに述べられている。
『食道楽』には食の根源、食生活に関するあらゆる情報が盛り込まれている。今、「食育」を考える時、その入門として、食事や健康が人間にとっていかに重要であるか、そのために人は何をどう食べたら良いかを、村井弦斎著『食道楽』から学んでみよう。

1903年(明治36年)正月から一年間、報知新聞に連載された『食道楽』は、単行本に刊行されると空前の大ベストセラーとなった。その物語は、大原 満という年の頃32、3の文学士と友人の妹のお登和 とわ という妙齢の令嬢を軸に、友人の兄弟らをからめ食べ物の話から生活全般までに、ハイカラな香りを漂わせながら話が展開される内容で、日本人の生活様式が西洋化していく時期と重なり多くの人々に愛読された。
自室に端座する、晩年の村井弦斎
自室に端座する、晩年の村井弦斎
(神奈川近代文学館蔵)
村井弦斎年譜
1863年(文久3年) 吉田藩藩士 村井清の長男として豊橋に生まれる
本名 寛(ゆたか)
1872年(明治5年) 9歳の年に一家で上京
1874年(明治7年) 創立直後の東京外語学校ロシア語科に入学
1884年(明治17年) 米国に留学
1885年(明治18年) 米国より帰国
1888年(明治21年) 東京専門学校(現早稲田大学の前身)に学ぶ
郵便報知新聞社編集局の客員となる
1901年(明治34年) 多嘉子と結婚
1903年(明治36年) 報知新聞に『食道楽』を連載(1月~12月)
単行本『食道楽』春・夏・秋の巻、刊行
1904年(明治37年) 平塚に転居。単行本『食道楽』冬の巻、刊行
1906年(明治39年) 実業之日本社「婦人世界」の編集顧問となる
1927年(昭和2年) 64歳で永眠
イラスト
『食道楽』に学ぶ