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過去の展示

KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~

アメリカ進出50周年-その足跡の検証
西海岸からニューヨークそして全米へ

ニューヨーク博覧会での成功とクーポン広告

1961年(昭和36年)、KIIはニューヨークに支店を開設し、市場づくりに乗り出しました。ニューヨークはまさに人種のるつぼで、様々な人々が市民として母国流を尊重する生活をしています。また、世界経済・文化の最先端の都市であり、各国から一流の食品が持ち込まれています。ここで市民の評価を受けることは、アメリカ国内はもとより、世界中の国で評価されることにもつながるのです。
まず、ニューヨークで販売店を確保するために「クーポン広告」を活用しました。新聞のクーポン広告を切り抜き、それを持参した消費者には値引き販売をする仕組みです。また新聞・雑誌広告、ラジオ広告も展開して「KIKKOMAN」を主婦に訴え、1967年(昭和42年)にはニューヨークのかなりの店にしょうゆが納入されるようになりました。

また、1964年(昭和39年)4月から開催された「ニューヨーク世界博覧会」では、日本館にレストラン・シアターが設けられ、当社は日本風にステーキやバーベキューなどを提供するとともに、しょうゆのサンプルびん、レシピを配布し、積極的にPRを展開したことも、効果が大きかったようです。
同年『東京新聞』の記事「ふだん着のニューヨーク」の中で、日本のしょうゆを使う家庭が増え、とくにバーベキュー・ソースが人気であると紹介されました。
ニューヨークでのデモンストレーション(1962年)

ニューヨークでのデモンストレーション(1962年)

1964年5月12日付『東京新聞・夕刊』「ふだん着のニューヨーク」で紹介された

1964年5月12日付『東京新聞・夕刊』「ふだん着のニューヨーク」で紹介された

ニューヨークでの市場づくりに実施した新聞用クーポン券。消費者が切り抜き、販売店で値引きをしてくれる制度

ニューヨークでの市場づくりに実施した新聞用クーポン券。消費者が切り抜き、販売店で値引きをしてくれる制度

「Good Housekeeping」の保証

アメリカの婦人家庭雑誌『Good Housekeeping(グッド・ハウスキーピング)』は1909年(明治42年)以来、食品を含む市販の家庭用品を消費者の立場から厳重にテストし、もっとも優れたものに「Good Housekeeping」の保証シールを与えてきました。1964年(昭和39年)、同誌の要望により当社は輸出用しょうゆとテリヤキ・バーベキュー・マリネードのラベルに「Good Housekeeping」の保証シールを貼付することになり、その結果「KIKKOMAN」に対するアメリカ人の信頼感をさらに高めることとなりました。こうして「ALL-PURPOSE SEASONING」に次いで、アメリカのマスコミから高い評価を得ることになったのです。以来、同誌の承認を得て保証マークをラベルに印刷することとなりました。

中西部での販売活動

ニューヨークに次いで、シカゴに代表される中西部市場の開拓にも取り組むことになりました。シカゴは、アメリカ市場での大きな競合相手である、化学しょうゆ(アミノ酸液調味料)メーカーのホームグラウンドでもありました。ここの市場で醸造しょうゆ本来の真価を認めてもらうことも、「KIKKOMAN」が一流食品として認知されるために必要だったのです。
特売などでは、競合品は当社製品の3分の2から2分の1の価格で売られ、「Why pay more?(なぜ高いものを買うの)」と消費者に訴えました。これに対し当社は「Quality difference(品質が違うから)」と訴求しました。


醸造しょうゆの危機「アフラトキシン問題」

国際商品としての醸造しょうゆに、危機がなかったわけではありません。その危機はまず、1960年(昭和35年)にやってきました。ロンドンで15万羽以上のアヒルの雛の突然死に、その原因の調査にあたった研究所が、アヒルの餌から肝臓がんの原因になる「アフラトキシン」を検出したと発表しました。その際にアフラトキシンがしょうゆ、みその麹菌にも含まれていると説明したことから、わが国のしょうゆ業界は死活問題になりかねない事態となりました。
当社の中央研究所はただちにこの問題に取り組み、まったく独自の方法で、麹菌にはアフラトキシンが含まれていないことを確認し、学会に報告しました。この報告が1966年(昭和41年)の「第2回国際食品科学工学会議」で承認され、日本の醸造産業は危機を脱したのです。
また、1969年(昭和44年)には「安全食品(Generally Recognized as Safe)」(GRAS物質)のリストから、「安全性を認めるデータが不足している」として、しょうゆが除外されることになりました。そこで当社の中央研究所は全力をあげてデータの作成に取り組み、1972年(昭和47年)の公聴会で安全性の証明をした結果、「しょうゆはGRAS物質である」との結論を得ました。
さらに1975年(昭和50年)にはFDA(米国食品医薬品局)がしょうゆを暫定的に「腐敗しやすい食品」の分類に入れ、「低酸性食品規則」にもとづく表示を義務づけることにしました。
しかし、FDAの検討会の席で当社が中央研究所の調査研究データをもとに論述を行なったことからしょうゆを低酸性食品規制の対象からはずすことになったのです。
こうした危機を乗り切ることによって、アメリカにおける当社製品の信頼度は一段と高まり、化学しょうゆとの差を決定的にするとともに、当社はフードサービス産業からも大口の発注が得られるようになったのです。

西海岸からニューヨーク そして全米へ