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過去の展示

KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~

アメリカ進出50周年-その足跡の検証
MADE IN USAのKIKKOMAN

レスリー・ソルト社との提携で部分的現地生産を実現

アメリカへの輸出が増大するにつれ、輸送コストの合理化が切実な問題になってきました。原料の小麦と大豆はアメリカ、カナダから輸入していたため、加工して輸出すると運賃が二重にかかることになるのです。現地生産も検討されましたが、まずは大型容器に詰めたしょうゆをコンテナ船で運び、現地で壜詰めを行なう部分的現地生産方式を採用することにしました。
カリフォルニア州オークランドにある製塩会社「レスリー・ソルト」社と1967年(昭和42年)に業務提携を結び、翌年から部分生産を開始。レスリー・ソルト社ではしょうゆのボトリングと共に、アメリカで開発され、市場規模を伸ばしていた「テリヤキ・ソース」の調合・壜詰めも行ないました。その製品には「Product of USA」のラベルが貼られ、「アメリカで製造された商品」と認定されることになりました。
これにより輸送費の削減と関税の引き下げ、さらにアメリカ政府機関への納入の道も開かれました。


現地での一貫生産へ、KFIウォルワース工場稼動

キッコーマンの進出を歓迎するウォルワースの町中の横断幕(1973年6月)

キッコーマンの進出を歓迎するウォルワースの町中の横断幕(1973年6月)

1970年(昭和45年)になりアメリカでの販売量が予想を上回る増加を示してきたことから、現地での一貫生産体制の検討を本格的に始めることになりました。アメリカに工場をつくることはかなりの設備投資が必要ですが、海上運賃や関税がなく、原料穀物の調達も容易で原料運賃や在庫量も減らすことができるのです。

工場の立地選定に際しては全米の候補地から、中部のウィスコンシン州の6か所に絞られ、ウォルワースに決定しました。ウォルワースは原料穀物の産地に近く良質の水に恵まれ、空港、鉄道、道路など物流・交通の便もよく、地域の人々の勤勉な労働力も期待でき、豊かな自然に恵まれていました。
1971年(昭和46年)にはしょうゆ工場の進出計画について地元の人々との対話を重ねて理解を得、地元議会の承認決議を経て、1972年に工場建設をスタート。同年3月には工場運営を目的とした「Kikkoman Foods, Inc.」(KFI)を設立しました。
米国ウィスコンシン州のKFI工場。右端に星条旗が掲揚されている

米国ウィスコンシン州のKFI工場。右端に星条旗が掲揚されている

アメリカ人によるアメリカ人のためのKIKKOMAN工場

1973年(昭和48年)6月、KFI工場のオープニングにあたり当時の社長茂木啓三郎は「この工場は、キッコーマンのアメリカ工場ではなく、アメリカのキッコーマン工場である」と挨拶をしました。KFIの経営基本方針として「経営の現地化」を掲げ、アメリカ人に働きやすい工場をつくることを第一に考えたのです。
日本からの出向者は極力減らして近隣に溶け込む生活をし、現地雇用を中心にしました。原則としてレイオフは行なわないなど、アメリカ流の経営管理に日本的な管理手法を導入。労使関係も円滑に推移しました。


野田と同じ味のしょうゆを生産可能にした技術革新

アメリカで一貫した生産を実現するまでに、6年間の部分的現地生産の時期がありましたが、この間に当社のしょうゆ醸造の設備と機械の改良・改善がすすみ、外国人従業員でも醸造関係の操作ができるようになったことは、海外工場建設の大きなポイントとなりました。
また、同じ麹菌、醸造法を採用しても、これまでは自然環境が違えばしょうゆの味も微妙に違ってきましたが、当社の製造管理システムは急速に向上し、「アメリカでも野田と同じ味のしょうゆがつくれる」と自信をもって言い切れるほどになっていたのです。


現地経営はハーバード・ビジネス・スクールの事例研究に

ウォルワースでのKFIの活動は、日本にルーツを持つ食品メーカーがアメリカで成功した稀有の例として、また摩擦をともなわない対米企業進出の好例としても、日米両国で研究の対象となりました。ハーバード大学の「ハーバード・ビジネス・スクール」の教材に取り上げられ、各方面から多くの注目を集めました。
キッコーマンの現地経営の例が、ハーバード大学ビジネス・スクールの教材(1983年版)に採用された

キッコーマンの現地経営の例が、ハーバード大学ビジネス・スクールの教材(1983年版)に採用された
MADE IN USAのKIKKOMAN