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マンジョウの歴史

万上には、流山みりんの伝統が生きています。

江戸中期の文化11年、酒造りを営んでいた相模屋二代目当主、堀切紋次郎は、きれいに澄んだ白みりんの醸造に成功しました。これが江戸市中で大人気となり、東名物(あずまめいぶつ)として、日本全土に広まりました。これが、今のマンジョウ本みりんです。 その評判から、宮中に献上する機会に恵まれた紋次郎は、こう歌います。 「関東の 誉れはこれぞ一力で 上なきみりん 醸すさがみや」ここから「一力」を「万」の字に代え、「上なき」の「上」をとって「万上」とした、これがその名の由来です。

良質の原料を選び抜きゆっくりと手間を掛けて熟成します。

相模屋の白みりんが、その良質の味わいを産み出した背景には、醸造地である流山近県で生産されていた、名産のもち米とうるち米を使用していた点も大きかったといわれています。 今も優秀な原料にこだわり、ゆっくり時間と手間をかけて熟成させる、昔ながらの醸造法で、マンジョウ本みりんを、1本、1本生み出しているのです。

流山キッコーマン株式会社

-みりんは流山と呼ばれた伝統を今もなお-

往来する荷船の影や水夫の声はなくとも、江戸川は今も昔の面影をとどめ、ゆったりと流れています。
そのほとりに流山キッコーマン株式会社は位置しています。創業以来、200年以上たった今、もちろん最新の機器により衛生面や製造の精度を高めてはいるものの、その基本技術に変わりはなく、小学校の教科書に「しょうゆは野田、みりんは流山」と取り上げられるほどの美味しさと伝統の製法を守り続けています。
現在も、流山キッコーマン株式会社では、マンジョウ本みりんを醸造し、今なお変わらぬ味を、プロの調理場に、そしてご家庭のみなさまの食卓へとお届けしています。

マンジョウの歴史は、みりんの歴史

みりんは、日本古来から愛用されてきました。慶長7年には、すでに市販さ れ、広く諸国で使用された記録が残されています。甘みが貴重だった時代に、 みりんの甘みと風味は、甘い酒として人々に愛されていたのです。
今でこそ調味料を主とし、お正月の屠蘇酒程度に飲まれているみりんですが、 当初は、主に飲み物として愛用されていました。そばつゆなど料理に用いられ 出したのは、江戸中期からの話で、今のように様々な料理に用いられるように なったのは、明治も後半。
昭和になって、その傾向が、一層強まってきたといわれています。

当時の文献をひもとけば、醤油における野田のように、みりんといえば流山 を想起するのが当たり前と記されています。
この流山でみりん造りを行っていたのが万上でした。

酒造りを営んでいた相模屋二代目当主、堀切紋次郎は、きれいに澄んだ白み りんの醸造に成功。ここから、現代に用いられている本当のみりんの歴史が始まり、 万上が関東白みりんの祖と呼ばれるようにもなったといわれています。

しかし、当初はともかく無名であったため、紋次郎自らが諸方を巡って、販 路の開拓を進めたのでした。それが実を結び、文政7~8年(1824~25)頃には江戸の町のそこか しこに「流山みりん酒」の看板を見ることができるようになりました。

そして三代目、四代目とも家業に励み、その名声は向上。
明治維新の戦乱に巻き込まれ、一時、家業を中断したこともありましたが、維新後、再開。
明治6年にはウイーン万国博覧会に万上みりんを出品し、有巧賞牌を受け、同年続いて宮内省御用達を拝命するなど、その名声を高めていきました。
それからも多くの博覧会に出品し、常に最高賞を受け、その名を世界へと轟かせ、現在に至っているのです。