しょうゆの出現

室町時代中期以降

日本の文献の中に、初めて「醤油」という文字があらわれたのは1597年(慶長2年)に刊行された『易林本 節用集』(えきりんぼん せつようしゅう)のなかです。この頃になるとしょうゆは、各家庭にも広まってきたと考えられます。

歴史のこぼれ話

『節用集』は室町時代に成立した国語辞典の類いで、通俗、簡便で実用向きという特色があり、これに「醤油」が取り上げられているということは、みそから分化したしょうゆが、庶民的な調味料になっていたことがうかがえます。しかし残念なことに、この時代の製法を伝えた記録がなく、「溜」「垂れみそ」「薄垂れ」など、製法上でどのような違いがあるのか確認することはできません。いずれにしても『節用集』に上げられた醤油は、現代の「濃口しょうゆ」とは違い、かなり「溜しょうゆ」に近いものだったと推定されています。

江戸時代~上方しょうゆの発達

江戸時代になり人々の生活や食生活も豊かになるにつれ、しょうゆは各地で工業的に生産され売られるようになってきましたが、はじめは上方ものが幅を利かせていました。

江戸の初期、上方しょうゆは米の3~4倍はする高価な商品でしたが、堺や大坂から船で大量に江戸に送られ、関東しょうゆの倍近くの値段で売られていたという記録もあります。その頃の江戸はまだ発展途上にあり、食生活を含めた文化の中心は上方だったのです。

元禄時代に上演された近松門左衛門の浄瑠璃に「うどんと切麦、汁は同じ醤油」とか「吸口は、何を、醤油か」「いやさっと薄味噌で」などとあるように、大坂の町人衆の間ではすでにしょうゆは日用品でした。しかし、しょうゆが江戸の調味料として広く一般に使われるようになるのは、文化・文政期になってからのことでした。

歴史のこぼれ話

当時、清酒やしょうゆ、塩から雪駄に至るまで、上方のすぐれた産物が江戸に送られていました。それらは「下り酒」「下りしょうゆ」などと呼ばれて珍重されました。反対に品質のよくないしょうゆは、下ることができなかったといわれています。つまらないモノやコトを「下らない」(江戸弁)というのは、この時代の名残です。また地元の酒・しょうゆは「下りでない」ということから「下らない」となった、という説もあります。

江戸時代~関東しょうゆの台頭

江戸時代中期を過ぎると、関東の常陸・下総・上総・相模などで、しょうゆづくりが盛んになり大きく発展します。味も江戸の人々の嗜好に合わせて、今日の濃口しょうゆに近いものが生産されるようになりました。そして次第に上方からの下りしょうゆは駆逐され、江戸のしょうゆは関東ものが占める状態になっていきます。

もちろん「量」だけではなく「質」の面でも、関東ものの評価が高まります。しょうゆの品質向上には、製麹(せいきく=しょうゆ麹をつくる)、もろみ熟成ともろみの管理、圧搾(あっさく=もろみを搾る)などのさまざまな技術が関わってきますが、原料に限っていうと、小麦の使用比率を高めることが製法の完成課程といえます。

1697年(元禄10年)刊行の『本朝食鑑』には「等量の大豆と大麦で麹をつくる」とありますが、1712年(正徳2年)の『和漢三才圖會』では「大麦麹と小麦麹の2種があり、市販されているのはみな小麦を原料にしている」と記されています。それまでの大麦にかえて小麦を使うことで、より江戸の人々の嗜好に合った、今日の濃口しょうゆに近いものとなりました。

歴史のこぼれ話

関東のしょうゆ生産地でもっとも中心となったのは、下総の野田と銚子でした。ここは気候的にしょうゆづくりに向いているうえ、利根川・江戸川を利用して江戸との交通の便(船)がよく、また周辺には原料となる大豆・小麦を産する平野がひらけていました。さらにもうひとつの大切な原料である塩も、江戸時代中期までは江戸川の河口、行徳で大量につくられていました。(その後は赤穂の塩が主流となりました。)

幕末の1864年(元治元年)、幕府がインフレ対策として物価の四割引き下げを強行しました。その際、「最上醤油」として価格の据え置きを許されたのは、野田のキッコーマン、キハク、ジョウジュウ、銚子のヤマサ、ヒゲタ、ヤマジュウ、ジガミサの7ブランドでした。

それをさかのぼる1840年(天保11年)、江戸市場での売れ行き順位を相撲番付に見立てた「醤油番付」が残されています。 これらのつくり手が当時すでに番付上位にあるのがわかります。

江戸末期~明治時代

「品質の向上により、下り物をみごとに追い越した地廻り物の例がある。他ならぬ醤油である」(竹内誠『江戸と大坂』)の指摘通り、江戸時代後半から関東しょうゆは、日本のしょうゆの代表としての地位を固めはじめ、維新前後には関東しょうゆは完全に上方を圧倒するまでになりました。

そして明治以降、しょうゆは急速に生産量を増していきます。

大正期以降はしょうゆ製造の近代化が進みました。そして現在、海外、特にアメリカなどでは、ごく普通にスーパーマーケットで売られ、家庭の食卓にのぼっています。

※近世以降の詳しいしょうゆの発展については「しょうゆの国際化」項をご参照ください。

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