コラム
過去と未来をつなぐもの
瀬戸内海に浮かぶ小さな離島、手島。
いまでは人口わずか16人になってしまったこの島は、
父の故郷であり、僕のルーツです。
本家のお墓があるので、子供の頃から毎年お盆の時期になると、
親族が島に集まって、おばさんたちが炊きものやお椀を作っていました。
古い土間を改造して作ったような台所に広がる、出汁としょうゆの匂い。
古びた家屋と一升瓶に入ったしょうゆの匂いは、
僕にとって「古き良き思い出の香り」として今でも鮮明に記憶に残っています。
しょうゆを使った料理には、本能を呼び起こす味わいがあると思います。
日本人にとって、しょうゆは生まれた時からずっと傍にあるもの。
味や香りが記憶に残って、記憶自体がしょうゆにマスキングされている、
なんて表現をしたくなるほどです。
特にしょうゆが焦げる香りは、人を惹きつけますよね。
和食の料理人の性なのか、
自分でもしょうゆを作ってみたくなって何度か試みたのですが、
納得のいくものが出来ない。
古代に中国から伝わったものが、日本の風土の中で大豆に定着し、
長い年月を経ながら積み上げられたその味の完成度を思い知りました。
和食って、委ねられている料理だと思うのです。
しょうゆをはじめ味噌も出汁も完成度の高いものを使うから、
料理の味の設計はそれらに委ねられている。
だから料理人が司る部分は、実はそれほど広くない。
僕は、素材や組み合わせのトーンを揃えることと、
しょうゆの濃淡の使い分けで料理を表現する。
濃口も淡口もありますよね。
それはまるで、出汁をキャンバスに見立てて描く
しょうゆの水墨画のようだと思っています。
とくに魚の煮つけは、和食を象徴する料理です。
しょうゆ・みりん・砂糖・水を入れて落し蓋をして強火にしておけば、
自然と美味しくなる。
しょうゆは複合体で香りも備わっているし、旨味もありますから。
こういう素朴なようで実は奥深いものにこそ、最近は心が惹かれます。
地域の食材や調理法を生かした郷土料理もそうですが、
ずっと食べ続けられている、作り続けられているものにこそハッとしますし、
未来のヒントは過去にある、と考えさせられるのです。
ふるさと手島を、これからの世代につないでいく。
残された人生を使って、それをやりたい。
手島の蔵には、かつてしょうゆや味噌を作っていたであろう、
大きな甕が残っています。
いつかその甕でしょうゆを作り、過去から未来へ繋げることができたら、
と想像するだけで楽しいのです。
和食の可能性を信じる料理人として未来に向かうその真ん中には、
しょうゆが存在しています。