醤油仲間 / エッセイ

「抱擁」

遠山正道

ちょっとした理由があって、ボイストレーニングを受けることがあった。
慣れない「ニューヨーク・ニューヨーク」を練習し、
高音で顔を歪めて歌うと若い女性の先生に咎められた。
「あなたが気持ちよくなってどうするんですか」と。
感動は聴く側にして頂くものだと。
そう言われてみると、シナトラも美空ひばりも、
三代目市川猿之助もエリッククラプトンも山口百恵も、大物は皆淡々としている。
石川直樹という最年少で七大陸最高峰を登頂した写真家は、
山の写真は撮りにいってはいけない、
キャッチャーのようにカメラを構えて受け取るのだ、というようなことを言った。
とても静かな話しである。

私は天玉そばがとても好きだ。
数あるそば屋の中でも、軽井沢駅の立ち食いそばおぎのやをリピートするが、
先日とあるおじさまが一人「うまい、、」を三度呟いた。
狭い店内が平和で満たされた。
天玉そばがうまい理由を分解して考察してみると、
そこに醤油の存在が立ち現れてくる。
そばも天ぷらも玉子も出汁も夫々にスター級なのだが、
それらは醤油があって初めて成立する。
醤油がそれらを結び引き立て、われわれの味覚を静かに受けとめ癒してくれる。
手を上げず、愛してるよなどとも言わす、叫けばず、そこに居る。

Soup Stock Tokyoのいちばん人気である東京ボルシチには、
こっそりと醤油が忍んでいる。
20年その座を黙って支え続けている醤油には、いつか御礼を言わなくてはいけない。

さて、また立ち食いそばに行くだろう。
いつもの天玉そばを頼んで、醤油に受け止められながら、
百恵さんの淡々とした微笑みを思い起こそう。

うまい、と呟くことができれば、誰もが平和に包まれるはずだ。

遠山正道(とおやま まさみち)

1962年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、三菱商事株式会社に入社し、建設部や情報産業部門に所属。 9 7年、日本ケンタッキーフライドチキンに出向。1999年、食べるスープの専門店「Soup Stock Tokyo」開店。翌年、三菱商事初の社内ベンチャー企業として株式会社スマイルズを設立。ネクタイブランド「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS T HE BATON」の企画・運営。