醤油仲間 / エッセイ

ハレの日の記憶は、時代を越える

岡副 徳子

私は野田の生まれで、しょうゆは生まれた時から身近な存在でした。
幼い頃のハレの料理は「すき焼き」。
私たち世代の子どもの頃ではいちばんのご馳走という方が多いんじゃないかなと思います。
年に数回、立派なお肉をいただく機会があって、家族皆でいただいていました。
兄が三人いて、私は末っ子。のんびりしているとお肉がなくなってしまう(笑)。
お肉を最初に人数分に分けて、兄たちにとられないように見張りながら食べたりして。
私は好きなものを先にいただくタイプですが、一つ上の兄は、最後までお肉を取っておいて、
みんなが食べ終わる頃に嬉しそうに食べてみせて。
性格が出ますよね(笑)。
ハレの日のご馳走を思い返すと、こうして家族の風景が浮かんできます。

今の家へ嫁いでからも、和食でも洋食でも中華でも最後にしょうゆで味を調えます。
よくビーフストロガノフを作るんですが、それも最後にしょうゆを。
それと、金田中には「琥珀がけゼリー」というお料理があります。
通常のゼリーがけってお水とゼラチンとオレンジリキュールを入れてというものが多いですが、 金田中の場合は最後におしょうゆで仕上げるんです。
甘味と深みがでて、お色も綺麗な琥珀色になるんです。

金田中は、新ばし花柳界の中にある料亭です。
その歴史は100年程になります。
花柳界とは、料理屋、芸者置屋、茶屋(貸席)の揃った所で、料理を提供する茶屋が料亭です。
私が嫁いだ35年前には、料亭、茶屋が20〜30軒ありましたが
今では5〜6軒、芸者も少なくなりました。
店を構える中で感じることは、一度失くしてしまうと二度と創れないという事です。
料亭は、日本の文化、日本的なものが凝縮された場所です。
吟味した素材を活かした日本料理と器、日本建築に畳、床の間にはお軸やお花が活けてあり、
それに加えて、日々芸に精進している芸者衆の踊りや三味線など、
それら全てが本物であるということなんです。
その本物を守り、次の世代に繋いでいきたいという気持ちで日々営んでおります。
その空間を多くの方々、日本人だけではなく海外の方にも楽しんで頂けるよう、
新たな機会を創っていきたいと思います。
金田中をハレの機会に使って下さる方も多いですから、そんな景色を守っていきたいです。

岡副 徳子(おかぞえ のりこ)

1961年千葉県野田市生まれ。慶應義塾大学卒業後、同級生の岡副真吾と結婚、金田中若女将として修行、2015年先代女将の後を継ぎ、金田中女将として料亭文化を守り、繋げられるよう日々努めている。

  • https://www.kanetanaka.co.jp/