醤油仲間 / エッセイ

拮抗大根、あるいは〈醤油の哲学〉

小林 康夫

modest but mighty————これが今日の指示記号かな?

わたしは、長年、東大の教養学部がある駒場キャンパスで教えていました。
所属の学科は「表象文化論」でしたが、最後の十数年は、わたし自身が設立に加わった 「東京大学国際哲学交流センター」(University of Tokyo Center for Philosophy)
の拠点リーダーをやっていたこともあり、また学生時代にフランスに留学していた時に
デリダ、リオタールといったフランス現代哲学の綺羅星に師事していたこともあって、
最近では「哲学者」という肩書きで紹介されることも多いのですが、
基本は「なんでもあり」、つまり「教養」という言葉よりはこちらを好みますが、
リベラル・アーツのプレイヤーです。
つまり、知について過激な「プレイ」をする「ラディカル・リベラル・アーティスト」ですね。
専門的な知識を披露するのではなく、その場でクリティカルに「知」を「プレイ」するというわけです。

となれば、今回は、————はじめてのことですが————醤油をプレイしたくなった。
で、考えるわけです。
醤油ほどmodestな調味料はない、しかしこれほどどんな料理にでも力を発揮するものもない。
でも、それだからこそ、醤油はいつも引き立て役の隠れプレイヤーだ。
それならば、この機会に、醤油そのものを味わう(料理というほどのこともなくて)一品を構想できないか。
つまり、手が込んだものではなく、素直に醤油の味を楽しむこと。
でも、そのためには醤油を舐めればいいわけではない。
醤油という引き立て役を引き立てるものをみつけなければならない・・・ となって、いろいろ試してみました。
で、まずは醤油の色そのものを味わわなければと考えると、白しかない。
それなら大根か、カブか、蓮根か、といろいろ実験してみて、やはり大根になった(蓮根はその触感が、カブはその甘みが強すぎるんですね、大根は、醤油みたいに控え目なので)。
ほかの調味料はいっさい使わない。主役は醤油。
でも、それだけでは「芝居」にならないんです。

となると、やはり相手役がいるだろうと、醤油君とは正反対の役者に登場してもらおうと、
(オリーブオイルも試したのですが)、バターさんを呼び出すことにしました。
水と油、液体と固体、植物と動物、東と西。
この正反対のものが大根という舞台で「拮抗」することで、
醤油君の個性が際立つ!という発想です。手はずは簡単。
大根は、皮をむいて8ミリ程度の厚さに輪切りにし、
それをラップでくるんで2分から2分半ほど電子レンジにかける。
フライパンにバターを熱して、そこに大根を入れて両面を軽く焼く。
それだけ。お皿にのせたら、醤油をたらす。
その色を眺め、あくまでも(大根ではなく)醤油をいただく心で食べる。
すると、「大根」という舞台の上から醤油の「歌(アリア)」が聞こえてくる・・・なんて!

小林 康夫(こばやし やすお)

1950年東京生まれ。東京大学名誉教授。専門は表象文化論、現代哲学、アート批評など。多くの著作、編著、翻訳があるが、今回のテーマに関連するものとしては、『若い人のための10冊の本』(ちくまプリマー新書)、『君自身の哲学へ』(大和書房)、『クリスチャンにささやく』(水声社)、『日常非常、迷宮の時代1970-1995』(未来社)などがある。