しょうゆと向き合う「極意」
僕は銀座一丁目で「1冊の本を売る書店」、森岡書店を営んでいます。
1998年に神田の古本屋に就職して以来、25年間、本にまつわる仕事をしてきました。
「しょうゆ」がテーマと聞いて思い返すのは、この仕事のスタート付近の想い出です。
最初に就職した書店のお隣に、当時、松村書店という洋書の専門店がありました。
そこのご主人、松村さんとは仲が良かったんです。
松村さんは、神田生まれ神田育ちの江戸っ子で、風流な人。
当時の僕は25歳、松村さんは70手前くらいでした。
時々ごはんに連れてってくれたりして、ある時、二人でお鮨を食べに行きました。
「今の季節は、シャコを食え!」とアドバイスを受けていると、自分の前にお鮨がでてくる。
その店は、刷毛じょうゆではなくて、豆皿に自分でしょうゆをたらして、
それにつけて食べるっていうスタイルだったんです。
そこで、僕が豆皿の全体に入るくらいにしょうゆをいれたら、
隣に座っていた松村さんが渋い顔をして、「本当に分かってない」っておっしゃる。
「しょうゆっていうのはそんなに入れなくていいんだ」と。
松村さんが実演してくださったんですが、これが想像を超えて少ない。
小指の爪くらい、または、iPhoneのカメラレンズ二つ分くらいなのです。
「これでいいんですか!」と自分にとっては嬉しい驚きでした。
そしてその瞬間、気づきがあったんですけれども、まずはその美しさ。
器としょうゆのバランス、しょうゆの照り、表面張力でまとまっている姿。
自分の色覚では黒色が赤っぽく透けて見えて、なんて綺麗なんだと感動しました。
お鮨を付けて食べて、三つ四つ食べるとしょうゆがなくなるんですが、
それは継ぎ足せばいいと。
そうすることによって、しょうゆがフレッシュですし、
しょうゆを大切に思えて、しっかりと向き合える。
今でももちろんそのやり方を続けています。
しょうゆを別の何かに例えるなら、学ランを着た応援団でしょうか。
まずは、黒い。
第二に、主役があって初めて存在する。
野球部やアメフト部は、お刺身や天ぷらに置き換えられます。
そして、各地域にあってちがいもある。
日本発のオリジナルな存在である。
私は応援団に憧れをいただいているのですが、しょうゆとはそんな共通点がありますね。