醤油仲間 / エッセイ

しょうゆで蘇る、あの記憶、その記憶

ロバート キャンベル

僕は、ニューヨークの下町、移民が多い労働者の街で育ちました。
アメリカは「人種のるつぼ」と表現されますが、マーブル状に混ざり合うというより、
それぞれが「けものみち」のような独自の動線を持っていました。
僕たちのけものみちでは、テイクアウトといえば中華料理屋さん。
母が忙しく働いていたのでよく利用していました。
注文すると料理と一緒に透明なビニールに入った個包装のしょうゆが無造作に入っていて、
僕にとっては、それが「しょうゆ」でした。

8歳の頃、隣人といつもの中華料理を食べることになって、僕は何を考えたのか、
その個包装のおしょうゆ袋をぎゅっと押して開けようとしたんです。
しょうゆは、おばさんの肩を越えて白い壁にベターっと飛び、立体的なシミに…。
こっぴどく怒られて、僕は走って逃げました(笑)。そんな失敗が蘇ります。

12,3歳の時に母が再婚し、ブルックリンに引っ越しました。
継父は、好奇心が豊かな人で、料理好き。
自分も見よう見まねで一緒に料理をするようになって、
様々な味を知り、味蕾が一気に拡がりました。
自分でレシピ本を買ってきて、中華料理を作るようになって、
炒飯や鶏肉の炒め物、溶き卵をいれた甘酸っぱいスープを作っていました。
テイクアウトに付属してあって「つける」ものとして認識していたしょうゆが、
「つくる」段階から使うものになったのはちょうどこの頃。
家族で食べるなら、という気楽さも手伝って、
日々キッチンで実験のように料理をしていましたね。
自分の手で料理をして、それで誰かに喜んでもらえるというシンプルな楽しさ。
今でも料理が日常の大切なルーティンになっているのは、
その延長線上にあるように思います。

今でもしょうゆは2~3種類常備していて、
素材の味を生かしつつ、ちょっとのしょうゆをかけて食べています。
薄味嗜好ですが、風味は立たせたい。
たとえば、生野菜ひとつとっても、そのままではおかずにならないものが、
おかずになる瞬間っていうのがありますよね。
その境界線というか、曖昧な際(きわ)に立役者として、
しょうゆがいてくれて、その個性が活きる気がします。

ロバート キャンベル(日本文学研究者)

ニューヨーク市出身。専門は江戸・明治時代の文学、特に江戸中期から明治の漢文学、芸術、思想などに関する研究を行う。 主な編著に『よむうつわ』(淡交社)、『日本古典と感染症』(角川ソフィア文庫、編)、『井上陽水英訳詞集』(講談社)、『東京百年物語』(岩波文庫)等がある。