醤油仲間 / エッセイ

「しょうゆというタイムマシン」

柳家 花緑

しょうゆと聞いて浮かぶのは、
祖父の小さん*¹ が食卓に並んだおかずにしょうゆをかける姿ですね。
祖父はしょうゆが大好きだったので、食卓に着くなり、
母が作った食事にいつもかならず条件反射のようにかけるんです。
せっかく味付けしてるのに、味も見ないでかけちゃうから、母は当然怒ります。
祖父、かける。母、怒る。その繰り返し。
目白の祖父の家で、私はずっとそれを見て育ちました。
いきなりこれじゃ、しょうゆが悪者みたいでまずいんじゃないかな、
と思いましたが、でも、しょうゆってすごいですよ。
そういう日常の思い出が、どんどん脳内に出てくるんです。
つまり、しょうゆのおかげで写真にも撮っていない、
映像にも残っていない家族の記憶が蘇ったってことなんです。
祖父はしょうゆで炊いた味噌豆が好きだったな、とか。
ガラスのまぁるいしょうゆ差しを手に取って、ぐるぐると、
魔法をかけるかのようにしょうゆをかける。
祖父のそんな仕草まで、思い浮かびます。
あぁ、これは、すごいことだなあと思いました。
しょうゆは、家族の記憶を思い出すタイムマシンですね。

落語の中にも、食べるとか、飲むとか、そういうシーンが出てきますが、
面白いもので、どうやら普段の生活が仕草に出ちゃうんです。
お蕎麦を食べる仕草とかすする音は稽古もするし意識もする。
でも箸をどう置くか、とか、器をどうもらってくるか、
っていう小さな動作にはその人の素が出るんです。
普段から仕草が丁寧な人は丁寧に、乱暴な人は乱暴になります。
しょうゆをかける仕草も、まさにそれ。
刺身のどの辺につけるだとか、なめる仕草なんかもそうですね。
私は食べる仕草には噛む動作をかならず入れます。
口の中の熱いものをほふほふしながら噛む仕草が醍醐味ですが、
それも普段の食べ方が出ていると思います。
だから普段から綺麗に食べたいですね。

そういえば、食べ物としてだけでなく職業としても、落語にしょうゆは欠かせない。
醤油問屋というのは当時おさまりがいい職業だったようです。
紺屋高尾*² では、吉原を訪れた紺屋職人が自分の身分を偽って
「野田の醤油問屋の若旦那」と名乗っています。
江戸っ子はしょうゆが好きだっていうのも当然あるでしょうし、
身分としても悪くない。
そして野田という距離が江戸からも近からずでちょうどいいんですね。
日本橋じゃ嘘がバレちゃいますから。
いつの時代も、しょうゆに頼っておけばどうやらおさまりが良いようです。

*¹ 五代目 柳家小さん。柳家花緑の実祖父。1995年に落語家として初の人間国宝に認定された
*² 古典落語「紺屋高尾」

柳家 花緑(落語家) (やなぎや かろく)

9歳から落語を始め、15歳で祖父・五代目小さんに入門。戦後最年少の22歳で真打に昇進。スピード感溢れる歯切れの良い語り口が人気で、古典はもとよりバレエ演目を江戸落語に書き下ろした新作や、洋服と椅子で口演する「同時代落語」などにも挑戦している。