しょうゆが滑る
私は、食のジャーナリストとしてフランス・パリを拠点に活動を始め、フランス料理の翻訳や執筆を通じて、「食と文化の橋渡し」のようなことを続けてきました。
しかし、東日本大震災を機に、「日本のことを、フランスの人々にもっと伝えたい」と強く思うようになりました。
今はパリで和庖丁の販売とメンテナンスを中心に据えた店舗「DOMA」を共同運営しながら、和の香りを軸とした食文化の提案や、文化の輪郭を言葉や体験を通して伝える活動もしています。
今フランスのレストランで、しょうゆを使ったことのないお店は、ほとんどないと思います。
でも、それがどんな調味料で、どう作られているのか。
日本の食生活の中でどういう役割を担っているのか。
そこまで知っている人は、まだ多くはありません。
しょうゆの魅力をもっと広げるには、プレゼンテーションの工夫が必要かもしれません。
たとえば、大豆や小麦の配合、木桶で醸したのかどうか、あるいはどんな土地で、どんな造り手が作ったのか。
そういうところに興味を持つ人たちはいると思います。
あるいは、ワインのように「ライトボディ」「フルボディ」などの味わいをあらわす表現も取り入れられるかもしれません。
特に私が気になっているのは、しょうゆの小皿です。
あの小さな角皿では、香りが立ちにくく、色も見えづらい。
しょうゆの色や香り、口当たりまで楽しめる器があったらどうでしょうか。
オリーブオイルもかつては脇役でしたが、同じようにプレゼンテーションを変えたことで、いまやバターに変わる主役となりました。
しょうゆにも、そんな可能性があると思うのです。
ある日、フランスの料理人で、MOF(フランス最高職人章)の称号を持つエリック・トロション氏と庖丁について話していたときのことです。
彼は丁寧に研いだ庖丁で切った刺身にしょうゆを合わせると、「しょうゆが、滑るんだよ」と表現したのです。
その言葉に、私はとても驚きました。
しょうゆが“染み込む”のではなく、素材の上を“滑る”。
そこには、素材としょうゆが同じ舞台に立つという、対等な関係性があると気づいたのです。
素材の良さに正面から向き合い、引き立て合う存在としてそこにある。
その発見が、とても新鮮でした。
しょうゆとは、ひとつの「完成されたソース」なのではないかと思うのです。
旨味や塩味、そして香りやコクまでもがすでに調和していて、それだけで味が成立している。
フランスのクラシックなソースが、素材を重ねて引き出していくものであるなら、しょうゆは、時間に預け、発酵という自然の働きに委ねながら、ゆっくりと味わいを育てていく手法。
作り方は異なっても、どちらも、美味しさをかたちにするための、真摯な姿勢には通じるものがあるように思います。
フランスでは、発酵食品への関心が年々高まっています。
味噌やしょうゆに惹かれて来日するシェフも増え、パリで独自のラボやブティックを立ち上げる動きも出てきました。
「ひよこ豆でしょうゆを作ってみた」
そんな声が、フランスでもすでに聞こえるようになりました。
ただし、単に原料を変えればいいということではなく、歴史をたどり、原点に立ち返りながら問い直すという作業が必要です。
なぜそれが存在しているのかを振り返ることで、国境を越えた協調が生まれ、新しい文化の創造につながっていくように思います。
当たり前にあるものだからこそ、原点に立ち戻り、さまざまな角度から眺めてみる。
そこには革新のヒントが隠されており、新しい未来が動き出すのだと私は確信しています。
