キッコーマン食文化講座

しょうゆの歴史 ~しょうゆは日本の発明品!~

日程 2010年7月26日
場所 野田本社
講師 田上秀男先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター
  1. 1西アジアでは麦芽を利用した発酵文化圏であるが、東アジアではカビを利用した発酵文化圏と言える。同じ東アジアでも中国大陸では主にクモノスカビやケカビの利用であり、日本ではコウジカビの利用が発展した。主として、穀物原料を生で使用するか加熱処理してから使用するかの違いに起因する。
  2. 2現在、「しょうゆ」と言えば、通常、8割以上のシェアを占める「こいくちしょうゆ」を意味する。この「こいくちしょうゆ」の作り方の特徴を歴史的視点で整理すると、(1)大豆と小麦がほぼ等量、(2)麹菌を使用する、(3)バラ麹(甘酒や清酒を作る時の米麹のような形状)、(4)原料を全て麹とする、(5)清澄な液体調味料 の5つのキーワードが挙げられる。
  3. 35つの特徴が揃ったのがいつの時代か、川の流れに例えて文献に基づいて遡って行くと、江戸時代の中期に至る。1712年の和漢三歳図絵(わかんさんさいずえ)、1732年の萬金産業袋(ばんきんずわいぶくろ)の記載により明確となる。
  4. 4一方、川の源流から見ると、みそやしょうゆの原型と言われる「穀醤(こくびしお)」は弥生時代に存在していたと言われ、飛鳥時代から奈良時代にかけて中国大陸からも伝来したとされる。その後、少しずつ進化を遂げ、<クモノスカビ+餅麹(もちこうじ:団子状の麹)>から<コウジカビ+餅麹>、さらに<コウジカビ+バラ麹>へと変わる。
  5. 5現在の「たまりしょうゆ」の作り方は、原料はほとんど大豆であり、味噌玉麹(餅麹)による。その原型は鎌倉時代頃にすでに存在していた。一方、うりなどの野菜類を漬け込んだ径山寺(きんざんじ)味噌もしょうゆの原型とされ同時代に作られていた。どちらが現在の「こいくちしょうゆ」の本流になるか意見の分かれるところだが、それを明確に示す文献は今のところ見つけられていない。川の流れに例えた鳥瞰図では、ちょうど支流がいくつも合流し三日月湖も存在し本流がどれか明確でない状態といえるのではないか。
  6. 6「こいくちしょうゆ」は「濃口」、「うすくちしょうゆ」は「淡口」と書く。うすくちは色がうすいのが大きな特徴であり、原料配合比はこいくちと同様で、諸味の醸造工程での工夫により色をうすくし、味の調整を主目的として甘酒を使う。こいくちしょうゆとほぼ同じ時期に作られたが、長らく「うすしょうゆ」と呼称され、明治時代になって「淡口しょうゆ」との呼称となった。「こいくちしょうゆ」は「しょうゆ」の呼称で実質的に江戸の初期から作られていたと推察され、文献上で明確になるのは上記のように江戸中期である。「濃口」の言葉は、「淡口」の言葉が出たのに合わせて両者を区別する目的で出現したと推察されている。
  7. 7「醤油」の「油」は「とろりとした液体、粘りのある液体」の意味であり、しょうゆには油脂は含まれていない。大漢和辞典によれば、「油油(ゆうゆう)」と書いて「(大河が)おもむろに流れる様」を示すとある。醤(ひしお)から搾った油(ゆ)すなわち液体の意。