キッコーマン食文化講座

お酢と言えばお寿司 ~江戸前寿司の進化~

日程 2013年5月28日
場所 野田本社
講師 赤野裕文先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター

すしの歴史は、変革の歴史とも言われている。日本における原初のすしは東南アジアから渡ってきたものである。魚肉を塩で味付けし、ご飯の中に漬け込む方法でつくられた。このすしは漬物のような感覚で、主として魚肉だけを食べていた。このような形態をナレズシという。ナレとは馴れ、すなわち発酵、熟成のことで、琵琶湖の鮒ずしなどが知られている。
室町時代になると、すしは魚肉と一緒にご飯も食べるようになった。発酵によってご飯が溶けてしまうため、発酵を途中で切り上げるようになった。これはナマナレとして知られている。

その後、さらに発酵時間を短くする工夫として、糀や酒、酒粕を混ぜるようになり、江戸時代初期には、発酵はせずに酢を使うように進化した。このような、変革の歴史を重ねる中で、江戸前握り寿司が生まれた。
江戸前握り寿司は、文政年間に江戸両国の華屋与兵衛が大成したと言われている。ちょうどこの頃、現在の愛知県半田市にて、弊社初代中野又左衛門は、酒作りで出来た酒粕を活用して、粕酢を誕生させた。この粕酢の風味や旨みが握り寿司によく合い、寿司飯がほんのり山吹色になることから『山吹®』の名称で親しまれた。

弊社では創業195年を機に、弊社創業1804年当時の江戸前握り寿司を再現した。その結果、現在の握り寿司とは、大きく異なる三つの特徴があったことを紹介する。

  1. 1ネタはそのまま握るのではなく、酢漬け、醤油漬け、煮るなどの下処理がなされていた。
  2. 2寿司飯の大きさは、現在の約2倍と、大きかった。(約45g)
  3. 3酢は、粕酢を使用し、塩は多めで塩辛い味であった。

文政年間に大成した江戸前握り寿司は、今では、世界中で食されている。今後も環境の変化に対応しながら進化を遂げていくと思う。

3つのすしという文字

中国において鮨の文字が最初に現れるのは、紀元前5~3世紀頃の成立とされる爾雅(じが)という字典。その意味は魚のシオカラで、魚類の塩蔵発酵食品を意味している。

鮓は、3世紀頃の字典釈名(しゃくみょう)では、塩と米を馴らした、魚の漬物という意味で、鮒ずしのような、発酵により酸味を得るすし。

寿司

最も古いすしの漢字は鮨で、すしのルーツと深い関わりを持っている。しかし、3世紀に出た廣雅(こうが)という字典で鮨は鮓なりと書かれ、以後、明確な区別なく、日本にもたされた。寿司は江戸時代に縁起を担ぎ生まれた文字である。