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過去の展示

四季を巡る江戸庶民の行事と暮らし
夏 隅田川の川開き
夏 隅田川の川開き 江戸は「水の都」で、大小の河川と縦横に走る堀は船による生活物資の運搬や人々の往来に欠かせぬものであった。
明暦の大火(明暦3年・1657年)の後、隅田川に両国橋が架けられて川遊びが盛んとなり、納涼といえば両国と定まった。
「五月二十八日、今夜より花火をともす」(『東都歳時記』―天保9年・1838年)とある。玉屋は両国橋の上流を、鍵屋は下流を受け持ち、華麗な技を競い合った。納涼に繰り出す屋形船は、それぞれに酒や料理を持ち込んで宴を張る。(『料理早指南』―享和元年・1801年)には各種の重詰め料理を記載しているが、船遊び向きの献立の中に枝豆も西瓜もある。大豆の未熟な種子である枝豆を茹でて食べることは(『延喜式』―延長5年・927年)に記述があることから平安時代のころかららしい。「湯出菽売り、三都ともに夏月の夜、それを売る。(中略)。江戸はこの菽を枝豆と云ふ。故にそれを売る詞を“枝豆や枝豆や”」(『守貞謾稿』―嘉永6年・1853年)とあり、江戸で売り歩くのは婦女子が多かったという。茶人の千利休も食したと云う西瓜は『むかしむかし物語』(享保17年・1732年)によれば、最初は道端で切売りし、買喰いする程度だったが、やがては大名も賞玩するようになった。文化年間(1804~18年)の『市陰月令』(村田了阿)に「六月、眞桑瓜、越瓜、丸漬瓜、西瓜、夏桃よぶ声いずれも暑し」、「七月此程須田町辺、瓜、西瓜など さかん也」とあるように町の景物となっていた。また、夏の食べ物には「ところてん」もあり、砂糖か醤油を掛けて食べていたと云うから、現在の蜜や酢醤油で食べるのとさしてかわらない。
枝豆/「浮絵両国橋夕涼之図」
枝豆/「浮絵両国橋夕涼之図」
隅田川の川開き