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過去の展示

洋食 欧米食と和食との融合

西洋料理の上陸は長崎出島から 開港場と西洋料理店
日本の西洋料理史は出島のオランダ屋敷からはじまった。出島の台所については川原慶賀の『オランダ屋敷台所の図』(文政頃・1818~1830年)に詳しい。図には肉の解体が行われ、いきいきと働く日本人の料理人の姿が描かれている。オランダ商館では故国の正月である「阿蘭陀正月」を迎えると、奉行所の役人や唐通司など日頃世話になっている日本人を招きもてなしている。この日の料理はそれぞれが土産として家庭に持ち帰り、待ちかねた親戚知人に配られた。のちにそれらは長崎料理として定着したものも少なくなかった。
長崎で日本人による西洋料理店ができたのは文久3年(1863年)のことで、草野丈吉が開いた良林亭が最初である。店は茅葺六畳一間のささやかな店であったが、コース料理で現在に換算すると1人前1万8千円したという。それでも大繁盛、半年後には玄関つき建坪三十坪という新店を開店、店名も良林亭から自遊亭、さらに自由亭と変え、関西方面にまで進出している。一方、箱館に西洋料理店が開店したのは安政6年(1859年)のこと。安政元年(1854年)から箱館で料理屋をしていた重三郎が開国に向け西洋料理を始めた。屋号は「カネ十」といった。「カネ十」については資料がとぼしいが、重三郎が箱館奉行に提出した「外国人向料理店開店の件」という願い書から判断して、日本人による西洋料理店は箱館の「カネ十」が矢ということになる。同じ開港場でも、横浜に日本人経営の西洋料理店ができたのは明治2年(1869年)になってのこと。江戸はこれより早く慶応3年(1867年)外神田に三河屋久兵衛が「三河屋」を開店。フラフにはローマ字で「Mikawaya」と描かれていた。
大阪中之島大阪ホテル 自由亭の新築風景 (明治30年) 柳川春三直筆三河屋の引札
大阪中之島大阪ホテル 自由亭の新築風景
(明治30年)
小菅桂子氏所蔵
柳川春三直筆三河屋の引札
(『福澤手帖』社団法人福澤諭吉協会所蔵)
西洋料理の上陸は長崎出島から
和洋折衷料理
コロッケからカツレツそしてトンカツまで