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過去の展示

洋食 欧米食と和食との融合

『西洋料理通』と『西洋料理指南』を読む
明治5年(1872年)、日本は近代国家宣言を行った。その証として官民一体となって西洋を取り込むべく大PR 作戦を開始している。『牛店雑談安愚楽鍋』(仮名垣魯文―明治4年)、『西洋料理指南』(敬学堂主人―明治5年)、『西洋料理通』(仮名垣魯文―明治5年)、『牛乳考』(近藤芳樹―明治5年)などの料理書に始まって、政府肝いりの一連の近代文化を進める書物が次々に出版されている。なかでも『西洋料理指南』と『西洋料理通』は日本の西洋料理の原点ともいうべき貴重な料理指南書である。「指南」は当時の高級官僚が匿名で著したもの。「通」の方は、横浜に来たイギリス人が、雇人に西洋料理を作らせるための手控え帳を種本に、新聞記者であり戯作者であった仮名垣魯文が書いたものとされている。
カレーの製法は「葱一茎 ねぎいっけい 生姜 せうが 半箇蒜 にんにく 少許 すこしばかり ヲ細末 さいまつ ニシテ牛酪 ぎゅうらく 大一匙 さじ ヲ以テ煎リ水一合五タ しゃく ヲ加 くわ へ鶏 にわとり 海老 えび 、鯛 たい 、蠣 かき 、赤蛙等ノモノヲ入テ能ク煮 にて のち 「カレー」ノ粉 こな 一匙 さじ ヲ入煮ル1西洋一字間已ニ熟 じく シタルトキ塩ニ加へ又小 うどんこ 大匙二 ふた ッ水ニテ解キテ入ルベシ」(『西洋料理指南』)。一方、『西洋料理通』は「綿羊の冷残肉 にあまりにく 、葱二本、ボートル四半斤、シトルトスフウン匙カリー粉一盛、同匙 おなじさじ に麦の粉一ト盛り。塩加減、水及び汁露物等を論せず一合程。右製法。葱を薄く斬り、ボートルと共に鍋の中に投下 いれくだ し、鼠色になるを度 めど とす。而 さて カリーの粉並に小の粉塩と共に攪轉 かきまぜ し、能々 よくよく 交混 まぜ その後薄切の葱とボートルの鼠色になりし物を、カリーの粉及び小の粉塩の中に投下 いれ て、肉を薄切にし或は刻み鍋の中に投下、前 さき の品々と混合 まぜあわせ 、十ミニュート (分) の間程緩 ゆる 火を以て而水或は汁を煮る投れ再び緩火を以て煮るる半時ばかり。その後皿に盛り皿を環らし、飯をぐるりと盛り食に備ふ」とある。この2つのカレーの作り方に共通しているのがとろみをだすために「小麦粉」を使っている点である。「小麦粉を使う」、これはイギリス伝来の製法だったことがわかる。
しかし当時これを見て西洋料理を作ろうとする人はいなかった。こういった一連の本は西洋の文化の香りを楽しむためのエッセンスだったのである。
カレーのつくり方(『西洋料理通』) カレーのつくり方(『西洋料理通』)
 
カレーのつくり方(『西洋料理通』)
キッコーマン国際食文化研究センター所蔵
『西洋料理通』と『西洋料理指南』を読む
和洋折衷料理
コロッケからカツレツそしてトンカツまで