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過去の展示

洋食 欧米食と和食との融合

コロッケからカツレツそしてトンカツまで
「コロッケ」という名の西洋料理が、日本人に知名度を得るきっかけとなったのは、大正7年(1918年)に全国的に大流行 はや りした「コロッケ」の唄であった。「ワイフ貰って嬉しかったがいつも出てくるおかずはコロッケ。今日もコロッケ、明日もコロッケ、是じゃ年がら年中コロッケ、アハハハ、アハハハ 是りゃ可笑しい」。この唄は、それまで庶民には縁の遠かった西洋料理の名前の一つ「コロッケ」が日本中に広まった記念すべき唄なのである。そのコロッケは最初から「いもコロッケ」であった。日本の馬鈴薯の生産量は、西洋料理の普及と共に伸びているところがおもしろい。
お馴染みの「カツレツ」。これは西洋の「ホールクコットレッツ」から派生した日本の西洋料理なのである。初めはポークソテイのように焼いていた。しかしこれは手間と時間ばかりかかって街場の小さな洋食屋ではとても手がたりない。ならばいっそのこと油で揚げてしまえば油の始末もいらないし、一度に2人前でも3人前でもできる。こうした発想がヒントになって生まれたのがカツレツなのである。知恵者は銀座の煉瓦亭の二代目主・木田元次郎さんである。明治30年代初めのことという。一方そのカツレツの肉を、油で火の通りが可能な限界まで厚く切り、フライ衣をつけてトンカツに仕立てたのも日本の料理人である。島田信二郎さんといって元は宮内省の料理人であったという。煉瓦亭同様いまも健在な上野御徒町の「本家ぽん多」がその元祖とされている。ところで牛鍋で育った日本人はこよなく牛肉を愛した。日清日露戦争が始まるや、軍需食糧として牛肉は缶詰にされ戦地に送られることになる。加えてロシア軍の捕虜も6万人を超え、その結果牛肉の価格が高騰する。その代役として浮上したのが飼育期間が短い豚だったのである。カツレツの主役も牛から豚へ、同時に薄い肉から厚い肉へと変わっていく。そしてトンカツの誕生となる。トンカツはさらにカツ丼からカツカレーへと発展し、洋食として市民権を得ることになる。
折衷菓子(『日本百科大事典』) 大正初め頃のトンカツ屋の店先(『にっぽん洋食物語』)新潮社
客の注文を伝える女店員
(大正9年)
(『たべもの世相史・東京』)
毎日新聞社
フォークとナイフでカツレツを食べる客
(大正9年)
(『たべもの世相史・東京』)
毎日新聞社
和洋折衷料理
コロッケからカツレツそしてトンカツまで