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過去の展示

KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~

アメリカ進出50周年-その足跡の検証
「ALL-PURPOSE SEASONING」(万能調味料)

大手スーパー「セーフウェイ」に納入

しょうゆ輸出再開当初はハワイやサンフランシスコ、ロサンゼルスの日系人向けに販売されていましたが、その後の米国におけるしょうゆ市場の伸びは、アメリカ人が自国の料理にしょうゆを使うようになって、支えられました。
1956年(昭和31年)5月、キッコーマンしょうゆは、全米に3000余のチェーン店を持つ大手スーパー「セーフウェイ」のサンフランシスコの一部の店に納入されました。日本生れの食品が、初めてアメリカのスーパーに登場したのです。

すでに大量販売、セルフサービスを軸とする小売業態が定着していたアメリカで、家庭向商品の販売を伸ばしていくためには、スーパーの店頭に商品が並ぶことが必須です。また、このことは、アジア系以外のアメリカ人の間にも、しょうゆへの関心が高まっていたことを示すこととなりました。
地元の新聞『サンフランシスコ・クロニクル』紙は家庭欄に当社のしょうゆを「KIKKOMANはALL-PURPOSE SEASONING(万能調味料)である」と紹介しました。
サンフランシスコの大手スーパー「セーフウェイ」の店内中央に陳列されたキッコーマンしょうゆ

サンフランシスコの大手スーパー「セーフウェイ」の店内中央に陳列されたキッコーマンしょうゆ

「ALL-PURPOSE SEASONING」

1956年(昭和31年)5月、製造担当常務だった茂木啓三郎は、「財団法人日本生産性本部」の視察団の一員としてサンフランシスコを訪れ、この記事を目にすると、すぐさま中野栄三郎社長に手紙で記事の内容を伝え、これを輸出用ラベルに使用することを進言しました。そして翌1957年(昭和32年)2月から、輸出用ラベルに「ALL-PURPOSE SEASONING」が記載されるようになったのです。
こうして当社は「万能調味料」を謳ったキッコーマンしょうゆをアメリカの家庭に向けて一層本格的な販売活動を開始することにしました。
1950年代中頃の当社のPR用チラシ

1950年代中頃の当社のPR用チラシ

西海岸一帯のスーパーの定番商品に

キッコーマンしょうゆがセーフウェイの一部に納入され、新聞でも評価されたことは、現地のフード・ブローカーたちの関心を高めました。フード・ブローカーは、アメリカの流通組織独特のもので、メーカーに近い立場でスーパーのバイヤーや小売店に商品納入交渉を行なう専門業者です。
スーパーへの納入を増やすには、フード・ブローカーにしょうゆのよさを伝え、販売意欲を高める方策が必要でした。アジア系だけでなく広くアメリカ人家庭に受入れられるよう、ポイントを絞った使用方法の訴求を検討し、テレビ広告も制作することにしたのです。その結果、セーフウェイからの注文が増えただけでなく、1956年(昭和31年)の秋にはロサンゼルスに本社を置く西海岸最大のフード・ブローカー「マイラード・アンド・シュミデール」社がキッコーマンを扱うことを決定しました。それは、当社のしょうゆが西海岸一帯のスーパーに納入されるきっかけが得られたことなのです。


大統領選挙速報番組で広告展開 知名度がアップ

当時大きな関心事だったアメリカ大統領選挙の開票速報番組で、キッコーマンしょうゆはCMの集中スポットを展開しました。この広告の効果で、カリフォルニア州でのキッコーマンの知名度が一気に高まったのです。

キッコーマン・インターナショナル・インコーポレーテッド(KII)の設立

1956年(昭和31年)11月、営業担当常務高梨小一郎は、訪米してアメリカ市場の動向を視察し、現地の輸入販売業者の意見を聴き、当社の販売会社をアメリカに設立する方針を固めました。西部地区での基盤が固まる兆しが見えたからです。
1957年(昭和32年)6月、カリフォルニア州と株式監督局の認可を得て、サンフランシスコに「Kikkoman International Inc.」(KII)を設立。7月1日から営業を開始しました。
KIIは、広くアメリカ人に向けてのマーケティングをめざし、食品ブローカーを通じてスーパーに販売する新たなルートを本格的に開拓することになったのです。

1957年7月、カリフォルニア法人キッコーマン・インターナショナル株式会社(KII)設立の謹告を、現地日系人向け新聞に掲載した

1957年7月、カリフォルニア法人キッコーマン・インターナショナル株式会社(KII)設立の謹告を、現地日系人向け新聞に掲載した
「ALL-PURPOSE SEASONING」(万能調味料)