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過去の展示

KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~

アメリカ進出50周年-その足跡の検証
デリシャス・オン・ミート!肉によく合うKIKKOMAN

「Delicious on Meat」

しょうゆの市場開拓は、日系人や日本人の多くが住んでいる西海岸から始まりました。しかし、大量消費を見込むには非アジア系のアメリカ人を取り込んでいく必要があります。
そのために、「しょうゆは日本料理のための調味料」という概念を変えて、新たに「KIKKOMANというソース」を提供することを基本ポリシーとしました。
まず、「Delicious on Meat(デリシャス・オン・ミート=肉によく合う)」というキャッチフレーズが生まれました。使用方法のポイントを絞り、肉を焼いてしょうゆをかけると香ばしくおいしくなることを、訴求したのです。

さらにスーパーや百貨店の店頭で、試食販売のデモンストレーションを行ないました。最初のデモンストレーションの料理は、肉だんごをフライパンで焼き、しょうゆをかけるという簡単なもの。しかし、店内にしょうゆのおいしい香りが広がり、主婦の注目を集め、食欲をそそることとなりました。そして、アメリカの家庭に向けて、様々なしょうゆ料理のレシピが開発されました。
ロサンゼルスのスーパーでのデモンストレーション販売(1963年4月)

ロサンゼルスのスーパーでのデモンストレーション販売(1963年4月)

ホームエコノミストの活躍

アメリカ人が好むしょうゆ料理の開発は、大きな課題でした。非アジア系アメリカ人にとって、日本食の食材は集めにくく、家庭で日本料理を楽しむ機会もありません。そこで日頃から食べている料理で、しょうゆを使うことで一層おいしくなるメニューを開発する必要があったのです。
KIIではオフィスの一角に食品分析のための器具、装置一式を備えた商品研究開発室を設け、日本から技術社員を派遣し、現地セールスマンやホームエコノミストの意見を聴きながらアメリカ人の家庭向けのしょうゆの利用法と新商品の開発をすすめました。
ホームエコノミストは、メーカーと消費者の間に立ち、メーカーの提供する商品やサービスを消費者がどのように利用するのが効果的かなどの情報を家庭に伝える職業です。
こうしてさまざまなアメリカ風しょうゆ料理が開発され、実際に家庭に浸透していったのです。
1960年代の米国の家庭のキッチン風景。キッコーマンが料理に使われている

1960年代の米国の家庭のキッチン風景。キッコーマンが料理に使われている

日本ブームと「Teriyaki」

アメリカでは1958年(昭和33年)ごろから、「日本ブーム」と呼ばれる現象が起こりました。着物、庭園、華道、柔道などの日本固有の芸術や生活習慣などへ人々の関心が集まったのです。KIIでは、1959年(昭和34年)に米国におけるしょうゆの啓蒙活動の一環として料理研究家の江上トミさんを招いて、サンフランシスコとロサンゼルスのテレビや新聞を通じ、しょうゆを使ったレシピなどを紹介し、大きな反響を呼びました。
この日本ブームのおかげもあり「Teriyaki」が登場しました。日本料理の「照り焼き」は、しょうゆとみりんを合わせたタレを魚などにつけ、なじませて焼いたものですが、「Teriyaki」はアメリカ人が開発した料理。もともとアメリカでは、自宅でも野外料理のバーベキューを好んでいましたが、この肉の網焼きのタレにしょうゆを使う人が増え、そうした食べ方のバーベキューが「Teriyaki」と呼ばれるようになったのです。「デリシャス・オン・ミート」が一般家庭に浸透した証でした。
1961年(昭和36年)にはしょうゆに香辛料を加えたバーベキュー用ソース「テリヤキ・バーベキュー・マリネード」のアメリカ向けの輸出を開始しました。

KIIの設立から数年を経過し、1960年代になると西海岸の大都市の市場にはしょうゆがかなり浸透するようになりました。そこでKIIは西海岸では中小都市の市場での浸透を推し進めるとともに、並行して西部地区以外でも本格的な販売活動を展開することにしたのです。
日本ブームの最中(1959年)KIIは料理研究家江上トミさんを招き、サンフランシスコなどのTV番組でしょうゆを使った料理を紹介。しょうゆの啓蒙に大きく役立った

日本ブームの最中(1959年)KIIは料理研究家江上トミさんを招き、サンフランシスコなどのTV番組でしょうゆを使った料理を紹介。しょうゆの啓蒙に大きく役立った

米国の雑誌用広告「キッコーマン・テリヤキソース」(1965年)

米国の雑誌用広告「キッコーマン・テリヤキソース」(1965年)
デリシャス・オン・ミート!肉によく合うKIKKOMAN