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過去の展示

-醤から醤油へ-しょうゆ発達小史

KIKKOMAN ARCHIVES
8~14世紀
古代から中世前期の「醤」
 奈良・平安期における「醤 ひしほ 」は、『養老令』(養老2年<718>)と『延喜式』(延長5年<927>)によってうかがい知ることができる。
 『養老令』の「大膳職 だいぜんしき 」条には、朝廷での会食を担当する「大膳職」と呼ばれる役所が置かれ、「主醤 ひしほのつかさ 」という役人によって「醤」や「未醤(みそ)」(現在の味噌の祖)がつくられていた。この条によると「醤」は主に調味料として使われていたほか、税の品目や官吏の給与としても用いられており、人々の生活の中に、ある程度定着していたことがうかがえる。
 平安時代の『延喜式』では、「主醤 ひしほのつかさ 」は「大膳職」の別院「醤院 しょういん 」として独立した役所となり、引き続き「醤」の製造を担当した。当時の「醤」の原料は、大豆、米麹 こうじ 、もち米、小麦、酒、塩で、その配合割合については『延喜式』により知ることができるが、つくり方についての記述はない。
大饗図 公卿前(『類聚雑要抄』)
大饗図 公卿前(『類聚雑要抄』)
大陸文化の影響を受けた平安時代の食膳。お膳を前後から囲む座り方である。図の手前左下と前面に当る上の右端に、調味料の一つである「醤」が置かれている。この図では、三つの調味料となっている(国立国会図書館所蔵)
 この時代、饗宴の料理は「大饗 だいきょう 料理」と呼ばれる料理方式で、食材を小さく切って器に盛りつけた料理を、食べる人が自分でいい塩梅 あんばい に仕立てて賞味する。このとき自分で味付けをするための調味料(酒・酢・塩・醤)が各自の膳の上に置かれていた。この調味料を「四種器 ししゅのもの (物)」と呼んだ。しかし、「酒」や「醤」は貴重なものであったため、身分の低い者には「塩」と「酢」だけで、こちらは「二種物」と呼ばれた。
 平安期の大饗料理のしきたりを伝える鎌倉時代の『厨事類記 ちゅうじるいき 』に「四種器 酢・酒・塩・醤」とあり、さらに「あるいは醤を止めて色利 いろり を用ゆ。色利とは大豆を煎たる汁なり。あるいは鰹を煎たる汁なり」と記されている。
 大饗料理に用いられた「醤」は、液体状であったことが想像されるが、当時、すべて液体状であったかは疑問である。
 『延喜式』には、鰒 あわび や鮒 ふな 、鰯 いわし などの魚介類の「醤 ひしほ 漬け」と思われる食品の名前が見えることや、長屋王家跡から出土した木簡には「醤漬けの瓜 うり や茗荷 みょうが 」などの記述がある物が発見されている。こうしたことから、古代の「醤」は液体状のものと粘体状のものがあったと考えられる。
 総体的に考えられるのは、液体調味料の「醤」を始めからつくることを目的とした製造や、必要に応じて粘体状の「醤」から液だけを得ることが行なわれていたに違いない。しかし「醤」そのものが貴重な時代、歩留りも悪く、液を除いて滓 かす (この滓は二次的に使用したようだが)が出るような液体調味料の製造が多く行なわれていたとは考えにくく、ほとんどは粘体状のまま利用されることが多かったと考えられる。液体調味料として利用するのは、特定の場合に限られていたのだろう。
鎌倉時代の「醤」や「未醤」
 平安末期から鎌倉時代の主な「醤 ひしほ 」や「未醤 みそ =味噌」には、次のようなものがあった。これらは室町時代に入り「薄垂 うすた れ」「垂れ味噌」などにつながり、さらには「醤油」に発展していったと考えられている。
 (くき):大豆発酵食品で、副食または調味料として味噌と同じように使用された。「醤」の大豆は麹 こうじ にしないが、「」は大豆も麹にして、発酵させる特徴がある。
 (くきしる):納豆の汁液の多いものに似ており、後の「」は醤油に近いもののようであったらしい。
 漿(つくりみず、こんず):後世の「垂れ味噌」(味噌に水を加え、煎じて袋に入れ、垂れ出た液体調味料)の類と考えられている。
 煎汁(いろり):「色利 いろり 」のこと。主に鰹や大豆の煮取った液で味付けされた調味料。
 豆油(たまり):味噌の液汁で、現在の溜 たま り醤油の一種と考えられている。中国の「豆油」は、大豆麹を混ぜた食塩水を煮た液であるが、これと同種のものかは、分っていない。
鎌倉時代の台所と食事の用意(『模本 春日権現記絵巻』)(国立国会図書館所蔵)
鎌倉時代の台所と食事の用意(『模本 春日権現記絵巻』)(国立国会図書館所蔵)
中国文献での「醤油」の文字
 この時期、わが国の文献上には「醤油」の文字は見られない。
 しかし中国では、13世紀頃の『山家清供 さんかせいきょう 』や『中饋録 ちゅうきろく 』に「醤油」の文字が見られ、調味料として使われていたらしい。さらに14世紀頃の『易牙遺意 えきがいい 』では「醤油法」(醤油のつくり方)が記述されている。しかしこれらに書かれている「醤油」が、現在の醤油につながるかは判明していない。
8~14世紀