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過去の展示

-醤から醤油へ-しょうゆ発達小史

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18~19世紀
食文化を育てた要因
 江戸時代270年の間に、いわゆる料理本と呼ばれる書物は主なものだけでも100冊以上、改訂版なども含めれば200冊以上も刊行されたといわれている。特に18世紀に入ると、その数は目立って多くなる。現代とは全く違った出版環境の中で、平均して年1~2冊程の割合で料理本が出版されたことは、驚くべきことである。
 こうした食への関心が高まった要因は、江戸期を通じ(1)平和、(2)農工業生産性の向上、(3)物流網の発達、(4)特に町人層の経済力の向上と庶民の基礎学力の向上などが考えられる。
 一方、江戸という巨大都市は、全期を通じて男社会であった。単身赴任の大名家臣団、男ばかりの江戸店 だな 、一旗上げようと思って集まって来る男たち、出稼人や無宿人など、とにかく独身男が多かった。こうした男社会が遊里や外食文化を発展させる大きな要因となった。
『奈まづ おなんぎ大家場焼』(ボストン美術館所蔵) Photograph (c) 2008Museum of Fine Arts,Boston, All rights reserved. William Sturgis Bigelow Collection,1911.11.38614.a-b
『奈まづ おなんぎ大家場焼』(ボストン美術館所蔵)
Photograph (c) 2008Museum of Fine Arts,Boston, All rights reserved.
William Sturgis Bigelow Collection,1911.11.38614.a-b
食文化の隆盛
 前述したような時代的な背景や要因によって、19世紀に入ると江戸を中心として食の文化が飛躍的に発展した。
 この時期の食文化の特徴を見てみよう。
 支配階級の武士たちは、前の時代から引き継いだ伝統的な食文化を守って、営々と同じ食事を続けた。しかし、儀礼や伝統に縛られない下層階級の庶民たちは、貧しいがゆえに、様々な食材に挑戦し、今までにない新しい食文化を形づくっていった。
 安くて栄養に富んだ食べ物は、先ず屋台から興り、一膳飯屋、料亭へと拡がっていった。そしてこうした食べ物が庶民の家庭にも拡がっていくと、今までそれを“下賎”などと蔑視していた武士階級も口にするようになり、調理の工夫や味つけに一層磨きがかかるようになったのである。
 こうした屋台や料亭の調理方法や味つけ方法が書物となり、それが読まれ、食の文化は土台を拡げると同時に、質も向上していった。
 現代のわが国の食文化の源流は、この時代から始まったといえる。
「鎌倉町 豊島屋酒店 白酒を商ふ図」(『江戸名所図會』)
「鎌倉町 豊島屋酒店 白酒を商ふ図」(『江戸名所図會』)
新しい調味料の登場
 江戸の食文化の隆盛には、醤油以外の調味料についても見ておかなくてはならない。
1. 味淋
江戸独特の調味料として利用されはじめたのは、化政期(1804-1830)以降のことである。それまで“女子供の飲み物”とされてきたが、白味淋酒の登場により、広く料理に使われるようになった。味淋の使用により、甘味だけでなく料理に一層の「照り」と「コク」が加味されるようになる。
2. 砂糖
『守貞謾稿 もりさだまんこう 』(1867年)によると〔江戸は専ら鰹節だしに味淋酒を加え、或は砂糖を以て之に代う。醤油を以て塩味を付る故に、口に甘く旨しと雖 いえど も、其物の味を損すに似たり。然れども従来の習風となり、今は味淋或は砂糖の味を加えざるを好まず〕とある。日本中の砂糖が江戸に集まったといっても過言ではなく、江戸の砂糖の消費量はすこぶる多かった。
3.
江戸の寿司屋で使われたのは、酒粕からつくられる「粕酢」であった。粕酢は、それまでの「米酢」と違って、濃厚な色合いとコクのある風味であった。文化元年(1804)尾張・半田村でつくられるようになった。飯に酢を加えた早鮨や握り寿司が完成した背景には、酢の醸造技術の発達も見逃せない。
4. 鰹節
江戸の水質はどちらかといえば硬水で、上方(軟水)のように昆布からダシを取るには時間と手間がかかる。一方「江戸の甘好き」といわれるように、調理に多量の砂糖を使う江戸では、ダシは鰹節のダシのような個性の強いものでなければ、味つけのバランスを欠いた。このような背景から、江戸では、鰹の旨味を凝縮させた「枯節 かれぶし 」が好まれた。そして、江戸の味といえば、鰹節とざらめの砂糖、関東地廻り醤油の三つが味つけの基本となる。
18~19世紀