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過去の展示

-醤から醤油へ-しょうゆ発達小史

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まとめ
 現在、わが国で生産している醤油の約80%は「濃口 こいくち 醤油」と呼ばれる醤油である。
 日本醤油協会によれば、他の醤油と区別する醤油の呼び方の初出は、元禄2年(1689)刊の『合類日用料理抄 ごうるいにちょうりょうりしょう 』にある「うすしょうゆ」という言葉ということだ。
 「たまり」という言葉は古くからあったが、「こいくち」という言葉が出てくるのは、かなり後になってからのようである。元禄2年以降「うすしょうゆ」が一般的な言葉として通用し、その後、明治38年(1905)の『月刊食道楽 第6号』で初めて「薄口 うすくち の醤油」という語が出てくる。
 そして「濃口」と「薄口」の二つが同時に出てくるのは、大正7年(1918)刊行の『割烹教科書 かっぽうきょうかしょ 』が初出らしい。(「淡口 うすくち 」と書いた語の初出は、明治44年<1911>の『揖保郡指要 いぼぐんしよう 』)
 このように見てくると、現在最も生産量の多い醤油であるにもかかわらず、『濃口醤油』という語は、醤油史の中では一番新しい言葉であるのが、意外でもある。
 「醤油」は、現在では東アジアだけでなく、国際的な調味料として、ますます注目されている。しかしその歴史は人類の歴史と同じくらい、長く複雑である。その醤油が、どのような過程をたどりながら発達してきたのかを概括的に見てきた。
 その結果、わが国でいう「濃口醤油」の製造技術の基本的な部分は19世紀に入ってほぼ確立したと考えられる。「淡口醤油」にいたっては17世紀の中頃に開発され、ごく短い間に完成に至ったと思われる。また「甘露 かんろ 醤油」(18世紀末)、「白 しろ 醤油」(19世紀中頃)などの完成も江戸の食文化の確立時期とほぼ一致している。
 そして明治を迎えた19世紀後半から今日までの醤油発達の歩みは、「醤油づくり」が「醤油醸造」となって、科学の目で醤油を見ることによって生産規模が大きくなり、生産性が向上し、品質がより高く安定していくことになる。しかし、製法の基本部分である製麹 せいきく 、仕込、発酵・熟成、圧搾 あっさく 、製成 せいせい に至る部分は、ほとんど19世紀初めの頃と変ってはいない。
 こうした理由から、今回の醤油発達の歩みの検証は、江戸時代末ないしは明治初期の段階で一応の区切りをつけた。
押絵扁額『野田醤油醸造之圖』(4代・勝文斎)
押絵扁額『野田醤油醸造之圖』(4代・勝文斎) 実物は縦94cm、横368cmの大型の額に、押絵と絵によって構成されている。制作年代は明治10年(1877)と明治23年(1890)の二説があるが、いずれにしても、明治初期の野田における醤油製造の蔵の様子がよく解る史料である(野田市郷土博物館受託管理蔵)
「御用醤油醸造所」(キッコーマン株式会社)
「御用醤油醸造所」 昭和の中頃まで使用されていた醤油樽
昭和の中頃まで使用されていた醤油樽
醤油樽は、今では見かけることもまれになっているが、もともとは13世紀の中頃に中国との貿易によって日本にもたらされた「桶」が、その原型といわれている。中国伝来のこの「桶」から「樽」を生み出したのは、日本民族独自の智恵と技術の成果といえよう
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