本格的なマーケティングと現地生産

現地販売会社の設立

キッコーマンは、市場の開拓と拡大を進めるために、1957年(昭和32年)6月、アメリカでの現地販売会社「キッコーマン・インターナショナル社(KII)」(現キッコーマン・セールス・USA社(KSU))を設立し、本格的な販売活動を展開することになりました。

KIIでの販売活動は、しょうゆを使ったアメリカ人好みの料理を開発し、その料理を試食してもらって、しょうゆの味を知ってもらおうということでした。またアメリカ人家庭の家族数や家庭での食事の実態から、アメリカ人家庭に合った容器の開発など、キメ細かい活動が展開されました。

その他にも、世代交代によって「日本のしょうゆ=本醸造しょうゆ」の味を忘れてしまった日系人へのアプローチも、重要な活動として展開されました。

こうした地道な活動を通じて、しょうゆが肉にすこぶるよく合う(「デリシャス・オン・ミート」)こと、スープやドレッシングの味つけにも適していることなどを訴えた結果、アメリカ人のキッチンやテーブルにもしょうゆが置かれるようになりました。同様の展開はヨーロッパ、とくに北欧諸国でも成功し、人々の食生活の中に、しょうゆが根づいていったのです。

現地生産

海外での日本しょうゆの生産は、戦前にも行われていました。しかし戦前は、日本人の住む地域での生産、という狭い範囲での需要でした。戦後、現地販売会社の設立により、キメの細かなその国の市場に合った販売活動が展開され、消費量も大幅に増えていきました。

キッコーマンではこうした状況を踏まえ、1960年代中頃からしょうゆの現地生産が検討されるようになりました。しかし、しょうゆ醸造という特殊な生産活動が、欧米諸国で可能かどうか危ぶむ声もあり、現地生産の第一段階として、1968年(昭和43年)1月、米国カリフォルニア州オークランドで原液を日本から運び、現地で壜詰にするという方式が開始されました。

その後アメリカでのしょうゆの需要は予想以上に順調に増え続け、年間の販売量は工場建設をも可能にするまでになりました。そして1973年(昭和48年)6月、米国ウィスコンシン州ウォルワースに工場が建設され、原料処理から製品までの現地生産が開始されました。
続いて、1984年(昭和59年)11月には、シンガポール工場が完成しました。

1997年(平成9年)10月にはオランダのホーヘザンド・サッペメアに、1998年(平成10年)10月には米国カリフォルニア州フォルサムにも工場を建設しました。
また、1990年(平成2年)からは台湾で現地企業との合弁で、しょうゆを生産しています。さらに、中国でも合弁の形で現地生産を開始しました。〈2002年(平成14年)昆山、2009年(平成19年)石家荘〉

「All-Purpose Seasoning」

1956年(昭和31年)5月、のちに当社第6代社長となった茂木啓三郎は、『サンフランシスコ・クロニクル』紙のしょうゆについての掲載記事の中に「KikkomanはAll-Purpose Seasoningである」という文を見つけ、彼はこの英語を「万能調味料」と訳しました。

「万能調味料」という言葉はしょうゆの特性をしっかり表現しています。以来キッコーマンのラベルには、「All-Purpose Seasoning」の文字が表記されるようになりました。しょうゆの持つ特性はいろいろあります。しかし、それぞれの国のそれぞれの料理にうまくとけ込む、という特性は他の調味料にはないものです。

世界100か国以上へ拡がる日本のしょうゆ

昔のしょうゆと現在のしょうゆを比べることはできませんが、料理の素材の味を引き立てることは、今も昔も変わりありません。だからこそ、オランダ人たちはしょうゆを大切に本国まで持ち帰り、東洋の味として珍重したのです。

そして、初めてヨーロッパに日本のしょうゆをもたらした国オランダに、日本のしょうゆ工場が建設され、稼働していることは、深くて強いつながりを感じさせます。今では、世界100か国以上で日本のしょうゆが販売されています。まさに「おいしさに国境はない」ということでしょう。

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