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江戸時代のしょうゆ輸出について


はじめに
今年は、わが国とオランダが交流をはじめて400周年にあたります。

1600年(慶長5年)オランダ船「リーフデ号」が豊後国(現大分県)に漂着し、日本とオランダの交流がスタートしました。そして、1609年 慶長14年)に2隻のオランダ貿易船が来航し、家康から貿易の許可を得て平戸に商館を開設しました。
それから30年後、日本は鎖国に入り、外国との貿易は長崎が唯一の窓口となり、「オランダ東インド会社」の持ち船(「(蘭船」)と中国船(「清船」)によって貿易がおこなわれました。
この時代の蘭船による貿易の詳細は、オランダ・ハーグにある国立中央文書館に残されている「オランダ東インド会社」の『長崎商館日記』『長崎商館仕訳帳』および同会社総督・東インド評議会が母国の「17人重役会」あてに年々書き送った『報告書』によって知ることができます。

近年になって、山脇悌二郎先生(「Panel-3」参照)により、これらの記録の解読・研究がすすめられ、その結果、日本との貿易の全貌が明らかになりました。また、先生の研究の一部に『江戸時代、醤油の海外輸出』と題する論文(『野田市史研究第3号』所載)があり、これによって鎖国時代のしょうゆの海外輸出の実態が解明されました。

一方、当社では、1997年(平成9年)10月オランダで「キッコーマンしょうゆ」の生産を開始しました。当社のヨーロッパでの最初のしょうゆ工場が、オランダに建設されたことと、日本の食文化の象徴ともいえる「しょうゆ」が、初めてオランダ人の手によってヨーロッパにもたらされたことは、偶然以上のものを感じさせます。

今回、山脇先生のご好意により、先生の貴重な研究の概要をまとめることができました。江戸時代のしょうゆ輸出について、少しでもご理解いただければ幸いです。


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