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過去の展示

食文化に見るしょうゆの包装・容器 その2


しょうゆ容器としての陶磁器・ガラス容器

(3)コンプラ瓶 びん[磁器]とケルデル壜 びん[ガラス]
コンプラ瓶とケルデル壜は、江戸時代にオランダへしょうゆや酒を輸出するときに用いられた容器です。しょうゆ・酒の輸出は、主に樽によって輸出されていましたが、それを補完する容器として活躍しました。 コンプラ瓶は、18世紀末以後、主に肥前 ひぜん 国波佐見 はさみ(現在の長崎県波佐見町)で焼かれた磁器です。オランダ東インド会社の貿易記録によると、1790年に初めてコンプラ瓶を使用したことが判明しますが、遺跡の発掘事例からすると、主に1820年以降に生産されるようになったと考えられます。
ケルデル壜は、コンプラ瓶が登場する前にしょうゆ輸出容器に用いられたガラス壜です。もともとオランダ船によってもたらされたぶどう酒などの空き壜です。数量が少なかったので、その不足を補うために、長崎近隣の波佐見や伊万里などで生産した陶磁器が用いられるようになり、やがてコンプラ瓶が成立しました。

コンプラ瓶  
 
コンプラ瓶
(キッコーマン株式会社 所蔵)
ケルデル壜  
 
ケルデル壜
(株式会社プラザサンルート 所蔵)

コラム 1 陶磁器のリサイクルの担い手 -焼きつぎ屋-
“焼きつぎ屋”とは、庶民の日用品である陶磁器を修理する職人です。割れたり欠けたりした部分を白玉粉や粘土などで接着し、小さな鞴 ふいご(送風機の一種)で部分的に加熱する「焼きつぎ」という方法を用いて再生したようです。また、前回の展示においても説明しましたが、「樽」もリサイクル容器でした。このように、江戸時代においては、空き容器の仲買人や修理職人などのリサイクル業者が多数活躍しており、物をリサイクルして使うという習慣が、しっかりと社会的に定着していたのです。


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