醤油百珍 特別編

「しょうゆが
つくる、
味・記憶・文化」

竹内海南江(リポーター)×花田洋一(亀甲萬本店・醤油杜氏)対談

「しょうゆ」という言葉が日本の歴史にはじめて登場したのは室町時代。以降、しょうゆは日本の食文化を支え、現代では海外でも広く親しまれる調味料へと進化してきました。人気テレビ番組『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして、30年以上にわたり世界中を駆け巡ってきた竹内海南江さんは、異国の地でしょうゆの魅力に改めて気付くことも多いそうです。そこで今回は「醤油百珍 特別編」と題し、亀甲萬本店・初代醤油杜氏の花田洋一が竹内さんを迎え、日本のしょうゆの独自性と進化について語り合いました。

竹内 海南江

竹内 海南江(たけうち かなえ)

1964年生まれ。30年以上に渡りTBS系『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして活躍中。訪れた国は105カ国、番組出演は290回超。旅の経験をもとにバッグ、靴などのプロデュース、TV・CM出演、エッセイ・小説執筆など活動は多岐に渡る。

花田 洋一

花田 洋一(はなだ よういち)

亀甲萬本店・初代醤油杜氏。キッコーマンにて長年しょうゆの新商品開発、醸造技術開発に携わる。造り手の視点から、しょうゆ醸造全般に関する歴史と伝統、しょうゆの魅力、発酵の奥深さ、しょうゆの使い分けや食材との相性などを発信している。

オオトカゲにしょうゆ?! 世界の珍味の“相棒”にもなるしょうゆの魅力

竹内さんが『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターになったのは1987年。これまで100ヶ国以上を訪れ、世界のあらゆる不思議をレポートされてきました。行く先々でさまざまな食文化に触れるなかで、料理をより美味しくする調味料として、しょうゆは欠かせないものだったそうです。

※画像はエジプト訪問時のものです

「しょうゆが海外に広まる前までは、必ずしょうゆをもって旅をしていました。しょうゆが活躍した思い出のひとつは、オーストラリアの先住民族、アボリジニの村を訪ねたとき。現地の方々がオオトカゲの丸焼きでもてなしてくださったんですね。炭火で蒸し焼きにしたオオトカゲのお腹のお肉は、鳥のささみのようで美味しかったのですが、『しょうゆをかけたら、もっと美味しくなるはず!』とひらめいたんです。結果は思った通り。しょうゆは少し垂らすだけでどんな料理も和食にする、万能な調味料だなと感じています」(竹内さん)

日本で誕生したしょうゆは世界へ飛び出し、各国に広まっていきました。「和食」のユネスコ無形文化遺産への登録や世界的な和食ブームも拍車をかけ、しょうゆは広く親しまれるようになります。

「発酵・熟成によって生まれる芳醇で複雑な香り、原料となる大豆・小麦由来の複雑な旨味とコクが合わさった味わい、その替えの利かない美味しさに、しょうゆの独自性があると考えています。さらにしょうゆは料理の味の決め手となる大きな力をもち、選び方、使い方次第で、記憶に残る料理や食事を演出できるんですね。まさに“頼れる相棒”です。だから竹内さんも、しょうゆを海外へ連れて行ってくださったのではないかなと」(花田)

江戸のグルメはしょうゆで開く!

室町時代後期以降、近畿地方にしょうゆの産地が形成。江戸時代初期は大量のしょうゆが上方から江戸へ送られ、「下りしょうゆ」と呼ばれていました。江戸時代中期にはうすくちしょうゆのような「下りしょうゆ」とは味わいの異なる「こいくちしょうゆ」が、下総国の野田や銚子などで生産されるようになります。

「室町時代の1568年、『多聞院日記』にて『醤油』の文字が初めて登場しました。ただこの『醤油』が指すのは、おそらく今でいう『味噌たまり』。熟成中の味噌から滲み出る液体のことですね。これが『しょうゆ』の前身となります」(花田)

「その頃の江戸の町には職人や家来衆が集まっており、屋台、寿司屋、蕎麦屋、うなぎ屋、小料理屋などが増えていきました。労働で汗を流した人々は、塩味が効いた濃い味つけの食事を好みます。だから濃厚で切れの良い関東風のこいくちしょうゆが、主流となっていったのでしょう。江戸時代後期にはこいくちしょうゆが各地へと広まっていきました」(花田)

自らを「しょうゆハンター」と名乗る竹内さんは、しょうゆの知識も豊富。しょうゆにまつわる江戸時代の食文化の話も教えてくれました。

「しょうゆのおかげで寿司文化も発達したのですよね。マグロをしょうゆに漬け込む“漬け”も、魚の鮮度を保つために考案されたものだったとか。お蕎麦もそう。もともとはお塩をつけていたものを、しょうゆでつくる“かえし”で食べるようになったと耳にしたことがあります。老舗料理店が大切にしている『代々継ぎ足してきた秘伝のタレ』にも、必ずしょうゆが入っている。これも日本固有の食文化なのではないでしょうか」(竹内さん)

世の中に価値を問う、挑戦的なしょうゆ造り

今では当たり前になっているこいくちしょうゆも、江戸時代には蔵人が試行錯誤を繰り返して産み出した革新的な発明品であり、ヒット商品でした。
その後、各醸造家が原料や醸造の条件を磨き上げ、品質を競うことでこいくちしょうゆの品質は更に高まっていきました。そして江戸末期に幕府から最上しょうゆを名乗ることを許された7銘柄の一つが亀甲萬(ブランド)です。

江戸へのしょうゆ供給地として発展を遂げてきた野田の醸造8家が、1917年にキッコーマンの前身となる「野田醤油株式会社」を合同で設立。野田の醸造8家のしょうゆは、江戸幕府からも最上しょうゆとして「風味豊かで美味い」と高い評価を受けていたため、会社設立前の1908年には宮内省(現在の宮内庁)の御用達を賜るようになっていました。

「キッコーマンの御用醤油醸造所(通称 御用蔵)では現在もなお、宮内庁にお納めするしょうゆ『御用蔵』 を伝統製法でお造りしています。複雑かつ華やかな香りを持ちながら、重厚感も併せ持つ、最上しょうゆの系譜に恥じないしょうゆ造りのこだわりに、他のこいくちしょうゆとは似て非なる唯一無二の存在感を感じます。個人的には、『御用蔵』だけが持つ特有の麹の香りが、野性味のある天然の食材と相性が良いように思います。
また、江戸時代のしょうゆの歴史や食文化に思いを馳せて味わえる点も、『御用蔵』の楽しみ方の一つです。しょうゆ片手に江戸の老舗を巡るのも楽しいかもしれませんね」(花田)

「『御用蔵』は、私も大好きなんです。まろやかな味わいで、香りも力強い。スーパーでお買い得品となったお刺身やお豆腐も、『御用蔵』をかけるだけでご馳走になります。日本ではしょうゆが無料でいただけますよね。お刺身を買ったら付いてくるし、定食屋さんのテーブルにも当たり前のように置いてある。しょうゆって、それくらい私たちの生活に密着しているんですよ。そんな身近なしょうゆに改めて目を向けたら、食はもっと楽しくなると思います」(竹内さん)

亀甲萬本店では「御用蔵」をはじめ、特色あるしょうゆを取り揃えています。しょうゆの使い分け、しょうゆの生かし方。普段とは違うしょうゆを選ぶことで、日々の暮らしに少しの豊かさと潤いをもたらすことを願います。

「しょうゆを選ぶ楽しさをお伝えすることも、亀甲萬本店・醤油杜氏である私の使命です。食材や調理法に合ったしょうゆを使うことで気付ける美味しさ、お気に入りのしょうゆだからこそ出せる味が家族に受け継がれていく幸せなど、しょうゆ選びはたくさんの喜びにつながっていくはずだと信じています。食文化の歴史を振り返ると、調味料がその先陣を切る意義は非常に大きい。こいくちしょうゆの発明に負けないよう、世の中に価値を問うような挑戦的なしょうゆも、亀甲萬本店を通してお届けできればと考えています」(花田)

亀甲萬本店では、記念日やお祝い事、お客様をお迎えする週末、腕に縒りをかけたくなる素材やレシピに出会ったとき。そんな日々の小さな晴れのシーンにふさわしい商品を、暮らしを豊かにする体験とともに、これからも皆さんにお届けしていきます。

伝統を今に伝える
御用しょうゆ

宮内省(現・宮内庁)にお納めするしょうゆ専用醸造所として建設された「御用醤油醸造所」(通称御用蔵)。ここ、御用蔵では、いまも伝統的な製法でしょうゆ造りを行っています。仕込みはじめは底冷えする冬。季節のうつろいとともに、木桶の中で発酵と熟成を重ねたしょうゆには、どこか懐かしい味わいがあります。通年でお求めいただける「御用蔵」のほか、気品ある味わいの二段熟成生しょうゆ「御用蔵生」は冬季限定でのお取り扱いです。