「拝啓、相模屋二代目紋次郎さま」
紋次郎さま、あなたのことを初めて知ったのは、
「みをつくし料理帖」というシリーズの執筆前、物語全体の設計図を考えていた時でした。
文化十一年(1814年)は、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の刊行が開始された年です。
同じ年に、流山でひとつの味淋が産声を上げました。
奥行きのある甘さ、そして何より、美しく澄んだ色合い。
濃い褐色の味淋しか知らなかった当時のひとびとに、
どれほどの驚きをもたらしたか、想像に難くありません。
この味淋を生みだし、販売を始めたひとこそが、あなたでした。
文献を調べる中で、文化文政の頃に江戸の食文化が一気に花開いたこと、
関東生まれの醤油と味淋とがその立役者であることを知りました。
それならば、と当時の私は考えました。
料理人である主人公の澪は、必ずや「流山の白味淋」と出会うはずだ、と。
ああ、紋次郎さま、どうかどうか、お許しくださいませ。
実際に私は「みをつくし料理帖」シリーズ第二巻『花散らしの雨』の中で、
相模屋の奉公人、留吉なる人物を登場させて
「この味淋は、店主紋次郎が工夫に工夫を重ねて苦労して作り上げた」
と、言わせてしまいました。
本来ならば屋号の「相模屋」や、「紋次郎」というお名前を作中に出す場合、
承継者のかたにお許しを頂くべきなのです。
私はそれを怠りました。
正直に打ち明けますと、「紋次郎さまをストレートに出したわけではないし」などと、
見苦しい言い訳を自分に許していました。
ああもう、私のバカ、バカ。
2009年10月に『花散らしの雨』が刊行されて、少し経った或る日のこと。
私のもとに、あなたのご子孫、「八代目紋次郎」さまからお手紙が届きました。
いやもう、驚いたの何の。だって八代目ですよ、八代目。
てっきり、お叱りを頂くものだと思い、とほほと眉を下げながら、便箋を開きました。
しかし、そこに書き綴られていたのは叱責などではなく、
「二百年の時を超えて、わが先祖に会うことが出来ました」という温かな謝辞でした。
私は大いに狼狽えたあと、
言い尽くせないほどの深い感謝の気持ちで、胸が一杯になりました。
同封していただいた資料で、初めて、あなたの肖像を拝見しました。
濃くて太い眉や眼力のある双眸、意思の強いひとだとわかります。
惚れてしまいそうでした(えへへ)。
このひとがあの「万上」を、と思ううち、脳裡に遠い昔の情景が蘇りました。
昭和四十年代、古い日本家屋の殆どがそうであったように、
我が家の台所も北向きで、陽射しも乏しく、冬は底冷えがしました。
しかし、そこには温かな湯気が立ち、美味しそうな匂いが漂っていました。
当時、お酒や醤油、味淋などは一升瓶で売られていて、
母は使い勝手が良いように中くらいのサイズの瓶に詰め替えて用いていました。
煮きらずに使える味淋風調味料というのが出回り始めた時も、母は、
「とても便利なものだと思うけれど、我が家の味は本味淋でないと出せないのよ。
こうして常温で保管できるのも、助かるわ」
と、味淋を変えようとはしませんでした。
なるほど、うどん汁、蕎麦汁、素麺汁、鰤の照り焼き、牡蠣の土手鍋、
野菜の炊き合わせ、牛肉の網焼き、茶碗蒸し等々、
髙田家の定番料理は本味淋があればこそ。
紋次郎さま、あなたの万上が、我が家の味を作ってくださったのです。
ひとの味覚も嗜好も、時代によって変わっていきます。
江戸時代のものと今のもの、本味淋の味も違っているでしょうが、
新しいものでありながら、本質は変わらない。
だからこそ、愛され続けるのではないでしょうか。
その源を生みだしたあなたに、心から感謝します。