キッコーマン食文化講座

みりんの歴史 ~飲用から調味料へ~

日程 2010年10月25日
場所 野田本社
講師 川根正教先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター

第1回では、みりんの起源や歴史などについて、文献史料に基づきながら追っていきます。また、みりんは飲用から調味料へ利用方法が推移しますが、江戸時代における日本料理文化の発展との関わりの中で理解します。

みりんは、米及び米麹に焼酎又はアルコールを加えて、こしたもの。アルコール含有量が15度未満で、酒税法の対象となる酒の一種。製造・販売には免許が必要です。みりんには様々な表記があり、密淋酒、密淋酎、密林酒、美淋酒、美淋酎、味醂酎、味淋酎、味淋酒、みりん、みりんしゅ、みりん酒などの文字が用いられますが、現在の酒税法では、平仮名の「みりん」が使われています。

みりんの起源には2説があり、中国伝来説としては、中国に密淋(みいりん)と呼ばれる甘い酒があり、戦国時代の頃に、琉球や九州(琉球から大坂への伝来説あり)に伝来し、日本中に広まったというものです。日本発生説としては、日本に古くから練酒、白酒と呼ばれる甘い酒があり、米や麹を加えると腐敗しやすいため、焼酎を加え、改善したものがみりんになったというものです。

日本料理文化の展開とみりんには密接な関わりがあり、日本料理が発展すれば、みりんの使い方も換わり、やがて調味料としての役割を担います。天武天皇4(676)年に肉食禁止令が出され、中世後期には魚鳥を中心とする料理法と精進料理が発達、精進料理は懐石料理にも影響を与え、日本料理の基礎が確立されます。寛文から元禄年間(17世紀後半)には料理書が登場し、料理知識が体系化され、武家や一部の上層町人によって料理文化が楽しまれるようになり、享保期(18世紀前半)を境に、中・下層の町人にも料理文化が享受されます。宝暦から天明年間(18世紀後半)には、本格的な料理屋も出現し、鮓屋・鰻屋という高価な飲食店が急増します。文化・文政年間(19世紀初頭)には遊びとしての料理文化が栄えますが、天保の改革を契機として、急速に精彩を失い、衰退の一途をたどりはじめます。

嘉永6(1853)年成立の『守貞漫稿』には、「江戸ハ、本直シト号シ、美琳ト焼酎ヲ大畧半々ニ合セ用フ。「ホンナオシ」「ヤナギカゲ」、トモニ冷酒ニテ飲ム也」とあり、みりんは最初飲用でしたが、江戸料理の発展とともに、鰻のたれ、蕎麦つゆ、煮物やお菓子などに調味料として用いられるようになり、現在の調味料としてのみりんの位置が確立します。

流山のみりんには、堀切家「万上みりん」・秋元家「天晴みりん」の2大ブランドがありますが、明治6(1873)年にオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世25周年を記念して開催された「墺国維納博覧会」に両みりんが出品され、堀切紋次郎・秋元三左衛門ともに、有効賞牌を受賞しています。