キッコーマン食文化セミナー

南蛮料理のルーツを求めて ~アジア各地に息づく魅惑の融合料理~

日程 2012年11月16日
場所 野田本社
講師 片寄眞木子先生
主催 キッコーマン国際食文化研究センター

わが国には、南蛮料理や南蛮菓子と称されている料理やお菓子がたくさんあります。
てんぷら、南蛮漬けなどは、もう日本古来の料理のように位置づけられているおなじみの料理ですが、人気の高いカステラ、ボーロ、コンペイトウなどの南蛮菓子や、有名な長崎のしっぽく料理のメニューにあるヒカド、パスティなどの南蛮料理が各地で家庭の味として、あるいは料亭の料理として今も生きています。
南蛮料理や菓子の多くがポルトガル起源とされています。ということは、あの17世紀初めに出された鎖国令より以前に、キリスト教とともにわが国に入ってきた「南蛮文化」の名残なのです。今から400年も昔に伝わった料理が、長い鎖国の年月を経たにもかかわらず、日本の味と融合しながら、今なお庶民のくらしの中に生きているという事実は驚異的ともいえるのではないでしょうか。長崎に26年間住まう機会を得て、このことを強く感じました。

1.ポルトガルに現存する南蛮料理と菓子のルーツ

そのルーツとされるポルトガルには当時の料理や菓子が残っているのだろうか?まず、ポルトガルを訪ねて確かめてみることにしました。カステラのルーツと思われるpão de ló(スポンジケーキ)、confeito(コンペイトウ・砂糖菓子)、bolo(ボーロ・丸い焼き菓子)、fios de ovos(卵の糸)等の菓子、そしててんぷらや南蛮漬けのルーツと思われるfrito(衣をつけた揚げ物)、escabeche(小魚の酢油漬け)などの料理が今も作られていました。

2.西洋と東洋の食文化が融合したクレオール料理

次に気がついたのは、当時の南蛮船はポルトガルを出港してからアフリカ大陸の喜望峰を廻って、アジアのいくつかの寄港地を経て日本に来航しているということです。

ポルトガル - ゴア(インド) - マラッカ(マレーシア) - マカオ(中国) - 長崎(日本)

これらの寄港地のそれぞれにポルトガル系食文化が持ち込まれ、現地の食材や調理法と融合して、わが国の南蛮料理と同じような東西の融合料理が生まれた可能性があるということでした。そこで、マカオ、マラッカ、ゴアを訪ね、西洋と東洋の食文化がミックスして生まれた第三の料理(クレオール料理)を発見しました。

  1. 1マカオ

    東西文明のクロスロードであったマカオでは、ポルトガルと中国の食文化が交流し、さらに、アフリカ、インド、東南アジア、ブラジルなどからやってきた食材とスパイスが加わって独特の融合料理が生まれていました。ポルトガルの血を引く「マカイエンサ」と呼ばれる人たちの家庭では、ポルトガル系マカオ料理が伝承され、市内のレストランの中にも、家庭的な独特のマカオ料理を味わえる店がありました。ポルトガル系レストランには、ポルトガル料理と並んで『アフリカンチキン』があり、中国系の店では『血鴨』『達粗(タッチョ)』などの融合料理を味わうことが出来ました。

  2. 2マラッカ

    マレーシアのマラッカでは、まさにクレオール料理といえる『クリスタン料理』とその伝承者に出会いました。「クリスタン人」と称するマラッカポルトガル人(16世紀のポルトガル人とマラッカの民族の子孫)で、ローマカトリック教徒であり、独自のクリスタン語を話す人々が伝えてきた料理です。現地には『ニョニャ・ババ料理』というマレーと中国の混血料理もありますが、それにポルトガル料理が加わってできた東西の融合料理で、西洋から持ち込まれた食材や調理法と現地の食材や調理法が混用され、スパイシー、ぴり辛い、甘い、酸っぱいの味が調和したおいしく美しい料理です。『チチャルー・ソイ・リマン(アジのライム・醤油ソース)』や『ガリーニャパイ(チキンパイ)』は、日本の南蛮漬けやパスティととてもよく似ていて、日本に伝わったのはこれではないかという思いを強くしました。

  3. 3ゴア

    インドのゴア(現在はパナジ・パンジム市)では、「ポルトガルの影響を受けたゴアの料理」を研究しているカトリック教徒の方にお会いして、実際にいくつかの料理を作っていただきながら、お話を聞くことが出来ました。ヒンドゥ教徒やイスラム教徒が多いこの地域では、魚と鶏が使われることが多いのですが、ポルトガル由来の料理はインド料理の特徴であるスパイスやマサラ(多種のスパイスを混合してすりつぶす)で味付けする料理に変化していました。食材は現地のものを取り入れ、料理名もポルトガル語と英語が混じったものが多く使われていました。

3.クレオール料理の魅力

ポルトガルの影響があった地には、日本の南蛮料理と同じように、それぞれ新しいクレオール料理が生み出されており、それは、東洋と西洋の良さを見事に取り入れた、すっきりとおいしく、味わい深い料理でした。
参考文献:『南蛮料理のルーツを求めて』片寄眞木子(平凡社)1999