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過去の展示

江戸時代のしょうゆ輸出について


「脇荷物」によるしょうゆの輸出
長崎商館職員や蘭船の乗組員たちによる個人取引の荷物は「脇荷物」または役者、漕者荷物」と呼ばれていました。「脇荷物」によってもしょうゆは輸出されていましたが『長崎商館仕訳帳』には記録されておらず、その正確な量は判っていません。
一方『唐蛮貨物帳』には、1711年(正徳元年)の蘭船4艘による「本方荷物」と「脇荷物」の合計記録が残っています。
それによると、品目が同じものは「本方荷物」と「脇荷物」が合計されており、さらにしょうゆは味噌と一緒にして「樽物」として扱われ、その合計数が記録されています。したがって『長崎商館仕訳帳』と引き合わせながら「本方荷物」と「脇荷物」を区別する必要があります。
このようにして計算すると、1711年の「本方荷物」はしょうゆ61樽(大樽56樽、小樽6樽)で、味噌は40樽、一方「脇荷物」は、しょうゆと味噌を合わせて867樽でした。同様に、1712年(正徳2年)には、「脇荷物」によるしょうゆと味噌を合わせた輸出量は999樽でした。しかし、この「脇荷物」のうちしょうゆが何樽であったかは、残念ながら正確には判りません。
山脇先生は「江戸時代を通して、味噌の輸出がしょうゆを上回る例は一例も見当たらないことから、少なくとも、脇荷の樽物の2分の1以上がしょうゆであったと考えられる」という意味のことを述べています。
このように見たとき、『長崎商館仕訳帳』と『唐蛮貨物帳』を引き合わせた1709年、1711年、1712年の3年の「本方荷物」と「脇荷物」のしょうゆの輸出量は、表のようになります。

本方荷物 脇荷物
1709年(宝永6年) しょうゆ:68樽
味  噌:
樽   物:478樽
内しょうゆ:240樽以上
1711年(正徳元年) しょうゆ:61樽
味  噌:40樽
樽   物:867樽
内しょうゆ:434樽以上
1712年(正徳2年) しょうゆ:69樽
味  噌:44樽
樽   物:999樽
内しょうゆ:450樽以上
山脇悌二郎『江戸時代、醤油の海外輸出』より作成


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