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過去の展示

江戸時代のしょうゆ輸出について


コンプラ株仲間(1)
長崎出島のオランダ商館員や来航船の乗組員のために、日用品、輸出品、および貨物梱包品などいわゆる諸色を、日本商人との間に立って取次ぎ、仲立ちをした特権商人達を「コンプラ株仲間」または「コンプラ商人」と呼んでいます。
「コンプラ」とは、ポルトガル語の「コンプラドール(Comprador)」の略称で日本語では「買い手」という意味です。「コンプラ株仲間」は正式には「出島諸色売込株仲間」といい、1666年(寛文6年)長崎奉行河野通定の認可によって成立した16株、16人の株仲間です(時代によって16株、17人のときがあります)。長崎奉行によってその営業を保障された特権グループでした。
従来から「コンプラ株仲間」は、オランダ人に物資を「売り込む商人」と解釈されていましたが、そうではなく、オランダ人のために諸品の「買い手」となり、それを調達してオランダ人に売り、利ざやを得ていた商人達のことです。「諸色売込」というのは、このような意味があります。
長崎には、「コンプラ株仲間」のほかに、脇荷取引に専従した「内通詞」と呼ばれる通詞(通訳)達の株仲間がありました。この株仲間は、脇荷取引の通訳、仲立ち、取次ぎをして口銭や世話料を得ていました。1670年(寛文10年)長崎奉行から認許されました。1701年(元禄14年)に書かれた『長崎諸役人付』という本は、長崎地役人総覧というべきもので、この本によりますと、「コンプラ株仲間16人」を「和蘭内通詞90人」のうちに入れて数えています。
つまり、「コンプラ株仲間」と「内通詞仲間」は身分が同類であることを意味しています。

川原慶賀筆 「唐蘭館絵巻・商品入札図」
川原慶賀筆 「唐蘭館絵巻・商品入札図」(長崎市立博物館蔵)


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