料理のことわざ ら行

「ら」

来年の果報は今年の稲で待つ

昔の農家の諺。
今ではそのまま当てはまらないこともあろう。

らっきょう食って口ぬぐう

らっきょうは一種の臭気があるから食べて知らん顔しても、すぐわかってしまう。
転じて、よからぬことをしてわかるまいと考えるのは浅はかな考えで、やがて発覚してしまうの意。

らっきょうの皮をむいたよう

女性の顔の美しいのをこういった。今では「ゆで卵の殻をむいたよう」という表現が一般的のようだ。

羅浮(らふ)

中国広東の東方に増城、博羅両県がある。この県境に並ぶ二つの山、羅山、浮山を羅浮山といい、ふもとに梅花村があった。
その昔、隋の時代に趙師源という人が酒に酔ってうたた寝していると、こんな夢を見た。
場所は定かではないが、彼が休んで一杯のんでいると薄化粧をした美人が出てきた。話しかけると快く答える。そのうちすっかり仲良くなって酒を汲み交わしていると突然緑衣の小童が表れて仲間入り。うちとけた三人は笑ったり、歌ったり、踊ったりの楽しい数刻を過ごす。
やがて二人が去ると趙師源は睡くなって眠りこんでしまった。目が覚めると、風雨激しく、夜はほのぼのと明けていた。
この夢で見た仙郷を羅浮。梅の精のような清楚な美人を羅浮の少女。梅林の多いところを羅浮郷という。

濫觴(らんしょう)

濫は浮かべるの意で、觴は杯(さかずき)である。楊子江という大河も、その源に行けば、杯を浮かべる程度の小さい流れに過ぎない。
転じて、物事の起こりとか始まりをいう。「孔子家語三恕篇」「荀子道篇」に出ている。

「り」

梨園(りえん)

唐の玄宗皇帝は、音楽の趣味を持ち自分も素養があるので、俗楽を司る左右教坊の子弟を大明宮の西に当る禁苑中の梨園に置いた故事による。
転じて、劇界のこと。特に歌舞伎界を梨園という。
梨のことは世界最古の博物書「山海経」の中に出ている。
「洞庭の中、其木多梨」と書いてあるのを見ると、この地方に梨の木が多かったらしい。
この地方が中国梨の原産地ではないかと思われる。

李下の冠 瓜田の靴

李(すもも)のなっている木の下で冠を正すには両手を上げるので、すももをもいでいるのではないか、と疑われることがなきにしもあらずある。瓜田で靴のひもを結び直すのも、地上の瓜をとっているのではないか、と疑われるおそれがある。何事も、疑いを受けるような行動はしない方がいい。

溜飲が下る

胸がすいて気持ちがさわやかになる、実際に胃の調子がよくなること。転じて、快心の思いをしたことをいう。

流水あかず 戸ぼそ虫くわず

流れる水は腐らないし、いつも動かしている戸のとぼそ(枢・くるるともいう)は虫が食わない。
ものはいつも動かしていなければいけない。
人の身体も同じ。運動不足で健康を害するという意味に転用されている。「いつも動かしていないと、飲食滞りて気血めぐらず」と、古い本にもかいてある。

漁師の一散食い

漁師は大漁で収入の多いときは、貯蓄するどころか、大きな気持ちになり、飲食に全部使ってしまう。

良酒は看板を要せず
Good wine needs no bush.

直訳すると「いいワインはブッシュの必要がない」。
転じて、よい品物や人物は、広告しないでも知れわたること。
ブッシュは、蔦の枝を束ねて、店頭にかけ、酒屋の看板にしたもの。日本でも昔は杉の葉を丸めて酒屋の店頭に出していた。今も、飛騨の高山あたりでは、その名残がみられる。これに類する諺はヨーロッパ各地にある。フランスでは「良酒に印なし」スペインは「良酒はひろめが不必要」ドイツでは「良酒はひとりで売れる」

蓼虫(りょうちゅう) 葵菜(きさい)に移らず

苦い蓼(たで)につく虫は、手近に葵(あおい)という味のいい甘菜があれば、そっちへ移りそうなものだが、長い間の習慣からそうしない。人も各々の好みがあるので他からああしたらいい、そうしたらどうだ、などといっても聞き入れないものだ。類句に「蓼くう虫もすきずき」、「蓼虫苦きを知らず」などがある。

両手にうまいもの

両方の手にうまいものを持っているのと同じように一時に多くの利益を得ること。

遼東(りょうとう)の豕(いのこ)

中国の古い諺。世間を知らず、自己の能力を過信してえらがることを戒める言葉である。
二千年以上も昔のこと。遼河の東・遼東に住む農民が白豚が生まれたのを珍しがって献上しようと考えた。
しかし、河東に来てみるとそこには白豚ばかりいて少しも珍しくなく、すごすごと持ち帰った故事による。出典は「文選 朱浮篇」。
それによると、後漢の光武帝の時、漁陽の太守の彭寵は論功行賞に不満を抱いて謀反をしようとした。それを知った朱浮という人が、手紙を出して「君の功績は自分ではかなり大きいと考えているだろうが、それほどのものではない。いうなれば遼東の豕同様なものだ」と戒めた。

林間に酒をあたためて紅葉をたく

白楽天の詩の一節であるが「平家物語」には高倉天皇のご逸話がある。天皇ご丹精のもみじを、心ない下臣が枝を折って燃やし、酒をあたためて飲んでしまった。
しかし天皇はお怒りにならず「林間に紅葉をたいて酒をあたためる、という詩の心を誰が教えたか知らないが、何にしても風流なことである」と仰せられた。

林中に薪(たきぎ)を売らず 湖上に魚をひさがず

林の中でたきぎを、また湖上で魚を売ろうとしても売れるものではない。物事は、所を得て、必要に応じて行わなければならない。

「る」

累卵(るいらん)のあやうさ

卵を積み重ねたままにしておくと、こわれやすくて危うい。
たいへんに危険な状態にあることをいう。
出典は「枚乗(上書諫呉王)」など。

居留守の柵さがし

留守番を頼まれた者が、家人のいないのを幸いに、あたりを探しまわり食べ物や酒を飲んでしまうこと。

「れ」

醴酒(れいしゅ)設けず

師に対する尊敬の念が薄らぎ、待遇が悪くなること。
中国の昔、楚の元王は、穆生、白生、申公の三人に学問を学んだ。
酒好きの元王は講義が終わってから酒を酌み交わすのが常で、酒を好まない穆生には、醴酒(甘酒)を用意することにしていた。
ところが、元王の孫・戊王の時代になると、学者を軽んじ、甘酒を出すのも忘れるようになったので、穆生は病気と称し、寝込んでしまった。白生と申公が、今王が多少礼を欠いたからといってそうまでしないでいいだろう、というと、「先王が我等に厚くしたのは、道を行おうとしたからだ。今王はその意がない。道を行う意志のないところに我等がいても仕方がないというわけだ」と答えた故事による。
出典は「漢書楚元王伝」の「穆生退、曰、可以逝矣。醴酒不設之意怠」。

零落(れいらく)

中国では草の葉の散るのを「ふる」木の葉の散るのを「落ちる」といい、草木などの葉のしぼみ落ちることを言う。
転じて、人がドン底生活になりさがること、落ちぶれること。

れんこんの穴にうなぎ

似合わないことのたとえ。

連木(れんぎ)で重箱を洗う

大ざっぱに物事をやることをいう。連木(すりこぎ)で重箱を洗っても、隅々までは、いきとどかない。
楊枝で重箱の隅をほじくることとは反対である。

連木(れんぎ)で腹切る

相手ができそうもないことをやるというときに、「よし、やってごらん。できたら首をやる」「銀座の真中で逆立ちしてみせる」などというのと同じである。
すりこぎで腹は切れないから、わざとできにくいことをいったもの。

「ろ」

浪人かわき

浪人は腹がすいているのでよく食べる。転じて、著しく物が少なくなっている感じをいう。

牢番の盗み酒

牢屋の番をしている者が盗み酒をすることの意外性とおかしみ。

魯魚の誤り

「魯」と「魚」とは似ているので書き誤りやすいことから、文字の誤りをこういう。
似ている文字は、書き違えないようにしなければいけない。
そうめんのように、索麺が変じて素麺になった例もある。
また、文字制限、またはやさしい文字代用のために変わった例も少なくない。唐豆(からまめ)は空豆(からまめ)、唐揚(からあげ)は空揚(からあげ)となり、庖丁は当用漢字使用のため、包丁とあてている。
しかし、初め出歯庖丁であったのが出刃包丁となると、全然、元字との関連がなくなってしまうなど、不都合なことも多い。

六の餅

大和地方の俚語で、薮入りをいう。
この地方では、他家に嫁した者が里帰りする時には祝餅を作ることになっていた。これを十六餅といい、十六日餅の意である。転じて、六の餅となった。泉州では「六入り」という。

鹿鳴(ろくめい)の宴(えん)

「詩経」に鹿鳴の詩がある。その詩をうたうのは立派な宴会なので「鹿鳴の宴」といった。転じてよい客をもてなす盛宴のこと。元来、中国では州県の官吏・登庸試験に合格して都に行く者の歓送の宴を称した。

魯酒(ろしゅ)薄くして邯鄲(かんたん)囲まる

思いがけない禍をこうむること。
中国の昔、魯と趙が楚王に酒を献上した。魯酒は薄く趙酒は濃かったが酒吏がその酒を取替えた。楚王は、趙酒はもっと濃いはずなのにこんな薄いのを出すとは、ばかにしていると、邯鄲を囲んでしまった故事による。

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