料理のことわざ は行

「は」

ばかの大食い

ばかで能力のない者は無芸大食の代表にされやすい。ここでいう意味は有能者、無能者を問わず、あまり大食いをするな、の意味を含んでいる。
「ばかの三杯汁」も同様である。

はじかみの置き合わせ

「はじかみの食い合わせ」ともいう。悲しみと喜びが一度にくること。また、良いこと、悪いことの重なることにも使う。
清水物語には「かようの人も、座敷に一つの挨拶にはよけれども、はじかみの置合わせとかや、一つの糸にはなりがたし」とある。

 

はしご酒

同じ屋内でも、何回となく席を変えて飲むことをいう。
現在は、何軒か違った飲食店や、知人の家などを訪れて酒を飲むことをいう。

箸をおくとそのまま

食事が終わると、すぐ仕事にとりかかること。

はすの実が飛び出たよう

青年の元気いっぱいなこと。

はぜは飛んでも一代 うなぎはのめっても一代

貴賤の別はなく、人間の一生は皆同じであるから、つまらぬあせりや苦悩はするものではない。
「はもも一期(ご)、えびも一期」というのも同じ意味である。

畑にははまぐり

「木によって、魚を求める」というのと同意。できもしないし、ありもしないことのたとえ。

バター付きのパンに苦情をいうなかれ
Never quarrel with your bread and butter.

パンにバターは、ヨーロッパ人の主食である。主食を得るには職業をもち、働かなければならない。ここでいうバター付きのパンとは人の職業のこと。それに何のかのと苦情をいうのは、よくないとのいましめ。
出典は、イギリスの諷刺作家・ジョナサン・スイフトの書いた、「上品で才ある会話全集」に「私は自分のパンとバターに苦情をいいたくない」とあるが、これからとったものらしい。

八里半

焼いものおいしさをほめたシャレ。九里(栗)に近いから「八里半」という。もっと激賞したのが「十三里」で九里(栗)、四里(より)うまいというのだが、どうであろう。

初の餅を食いたい

餅に初物というのもおかしいが、それでも人情として、初物は欲しい。人間は何でも初物を望む意。

花より団子

花を見て楽しむという風雅なことよりは、団子を食べた方が実質的でいい。また、転じて、外見よりは内容のいい方をとる意。
古くから使われたらしく、戦国時代の人、松永貞徳の「花より団子やありて帰る雁」という発句がある。
類語に「花の下より鼻の下」「一中節より鰹節」、イギリスにも「鳥の声より、パンの方がいい」がある。

 

母方より食い方

親類同士の問題よりは、自分の生活の方が大切である。「俳諧三十棒」に、「さあ、膳を出せ、わたしもお相伴仕ろう、母方よりは食い方と、各箸をとる云々」。

早く実れば早くくさる
Early ripe early rotten.

早熟で早老よりは大器晩成がいい。

早飯も芸の中

ハイスピードで飯を食うのもむずかしいことであり、芸の中といってもいい。

腹が食わずに目が食う

本当にお腹がすいたときは、食べるものなら何でもいいという気になる。しかし、一目みておいしそうな食物もある。色彩の美しさと調和、庖丁の美しさ、盛付けの見事さなど視覚による食欲増進は軽視できない。

腹鼓を打つ

大いに喜び満足すること。

腹に味わう

ていねいに鑑賞、賞味すること。

腹量りて食らい形を計りて着よ

腹八分目を自分で量って食べ、自分の体型を計って着物を作れ。

春は晩食後三里

春は晩食後三里も歩けるほど日が長い。「春の夕食、食って三里」も同意。

般若湯

酒の隠語、仏僧の間からでたもの。

「ひ」

火うち箱でみそを焼く

あまりにも手を抜いてしまうと、思うようなものができない。
火打ち箱は、マッチのない時代、火打ち石を鉄とすり合わせて発火させた道具。火力はたいへん弱い。
「円覚経」に「ホタル火をとって須弥山(しゅみせん)を焼くが如し」とあるのも同じ意。「火打ち箱で飯をたく」といういい方もある。

日かげの豆も時がくればはぜる

日かげの豆は色が悪く形も小さいが一定の時がたつと成熟してくる。
人間も同じで一定の年月がたつと成長が遅れていた者も一人前となる。
ある年令になると、セックスに目ざめる意にも用いる。

干潟(ひがた)の鰯(いわし)

どうしようもないたとえ。

 

干かますのよう

かますの干し物のようにやせている人。

彼岸がくれば団子をおもう

連想することのたとえ。彼岸には団子を作る風習があるため。

ひじきの行列のよう

へたな草書をいう。

日田の紅いか

大分県・日田は昔、海からの交通が不便だったため、いかを送ってくる途中、赤く変色してしまったので、この言葉がつけられた。
なお、「飛騨(ひだ)のぶり」も同じ意味である。

人至って賢ければ友なし水清ければ魚住まず

語意は、説明の必要はないと思うが、必ずしもそうでない人もいる。
出典は「孔子家語」。原文は「水至清則無魚、人至察則無徒」とある。

一つ鍋のものを食う

一緒にすんで苦楽を共にすること。
「一つの釜の飯を食った」というのは同じ店、同じ会社などに勤めていたことをいう。

一粒選り

ていねいに精選すること。またはしたもの。

人は種をまいたように刈り入れをするべきである。
As you sow,you should reap.

まいた種なら刈りとりもすべきだ。
人たるものは、自己の行為に責任をもつべきだということ。
出典は、「新約聖書」の「ガラテア人への手紙」。ヨーロッパには、これに類するのもでは「自分の醸したように自分で飲まねばならない」がある。

人はパンのみに生きるものにあらず
Man shall not live by bread alone.

これはキリストが山上でいった有名な言葉である。イエス・キリストが四十日も断食して餓死寸前に悪魔が現われた。そして、お前が神の子なら、この小石がパンに変わるよう命じたらどうだ、とそそのかした時、キリストが「人は・・・・・・」と、神の言葉によって生きられることをいった。要するに、人は精神的な生活も必要である、ということ。

独り者のごっくり飲み

酒は一人で飲んでもうまくないのでたいていガブガブッと飲んでしまう。

人を茶にする

人を愚弄(ぐろう)すること。

ひながかえらぬ中に数えるな
Count not your chickens before they are hatched.

自分の手に入る前には、あてにしてはいけない。
「捕らぬ狸の皮算用」と同じ意。

姫路の冷飯

けちで、人を接待するのにも冷飯を食わすのがやっとである。
原典不詳。

冷飯から湯気が立つ

あり得べからざること。
また「冷飯食い」は昔、部屋住みの二男・三男の者をいい、転じて未熟者をこう呼んだ。

百里に米を負う

貧家に生まれ、親のために孝養をつくすこと。
出典は「孔子物語」

日向(ひなた)に氷

次第にものが少なくなること。「世間胸算用」に「それほどにあきないなくていよいよ日向に氷の如し」。

日向貧乏

いくら倹約しても収入を増す方法を講じないとジリ貧になってしまう。
「日本新永代蔵」に「始末々々といいて簡略にのみ気をくれて、銀をもうくる筋を見つけぬ者あり、これを日向貧乏といえり」。

ひょうたんでなまずをおさえる

ひょうたんで、ぬるぬるしている、なまずをおさえるのはむずかしい。
それと同じで人の態度、いうことなどつかまえどころがなく、のらりくらりしていること。
「ひょうたんなまず」ともいう。

 

昼九 夜八 船六

盃につぐ酒は、昼は九分、夜は八分、船中では六分目にするのがよい。
「船七馬六」ともいう。

「ふ」

ふかの寝食い

ふかは貧食の魚である。よく食い、よく寝ることをさす。単に「ふかのよう」という時は、よく寝ること。酒を多く飲む人を指すこともある。

ふきみそをなめたよう

苦々しい顔をすることをいう。

ふぐ食う無分別ふぐ食わぬ無分別

ふぐは美味だが、毒があるので、江戸時代にはこの種の言葉がいろいろ作られている。
「ふぐ食わぬたわけに食うたわけ」「ふぐ汁を食う馬鹿、食わぬ馬鹿」「ふぐは食いたし命は惜しし」など。芭蕉も「ふぐ汁や鯛もあるのに無分別」と詠んでいる。横井也有の「百魚譜」には「その味と毒の世に勝れたれば、食う人を無分別ともいい、食わぬ人を無分別ともいえり」とある。現在はふぐの毒の所在が明らかになり、その除去法もわかっているので中毒の心配はなく、天然の美味を安心して食べられる。

ふぐ好きで灸きらい

美味だが、危険な食物とされているふぐを好んで食べるが治療は少しも考えず灸は大嫌いな一種のすね者。

ふぐにあたれば鯛にもあたる

昔はふぐに毒があると恐れていたが、毒がない鯛でも、鮮度が落ちていたりして、あたることもある。わざわいは予想しないところにあるということのたとえ。

富士見酒

酒は海上で揺れると味がよくなれて美味を増すという。特に池田、伊丹あたりから船にのせて積出し、富士山の見えるあたりまでくると、味がぐんとよくなるといわれていた。それでわざわざ、そこまで運んで行き再び関西にもどってきた酒を最高のものとし、富士見酒といった。

 

豚に念仏猫に経

手ごたえのないこと。「馬耳東風」「牛の前で調べる琴」などと同じ意。

豚を盗んで骨を施す

大悪を犯して小善をすること。

釜中(ふちゅう)の魚

瀕死の状態をいう。出典は「通鑑」。

プディングの味は食べてみなければわからない
The proof of pudding is in the eating.

イギリスでは食後よくプディングを食べるが、いろいろな種類があり、食べてみないと、そのよしあしがわからない。転じて、論より証拠の意に用いる。

ぶどう酒は樽の味がする
The wine will taste of cask.

ぶどう酒は、容器の樽のにおいがする。同じように人の言動はその人の人格が出てくるものである。

ぶどう酒は老人のミルクである。
Wine is old man's milk.

「酒は長寿の基」「酒は百薬の長」「よい酒はよい血を作る」などと同意。酒を大いに礼讃している言葉。

鮒の泥に酔うたよう

息もたえだえに弱っている鮒。何事かに直面して元気を失い、悄然としていることをいう。「鮒のごみに酔ったよう」というのもある。

鮒の仲間に鮒が王

鮒の仲間では、程度のそうよくない者、すなわち似たようなものが頭になる。類は類をもって集まる意。

冬だいこんは彼岸なかば

冬だいこんは彼岸なかばになれば食べていいという。

冬の氷売り

冬に氷を売ろうとしても、売れるものではない。時期を得ないたとえ。冬の雪売り、ともいう。出典は「准南子」。「斉俗訓」に「林中薪を売らず、湖上、魚をひさがず」とある。

 

フライパンから飛び出して火の中へ
Out of the frying pan in to the fire.

小難を逃れても後に大難が控えている意。
シェークスピアの「お気に召すまま」の中にも「煙の中から、更にもっと息苦しい中へ」とある。

古い友達と古いぶどう酒が一番いい
Old friends and old wine are best.

これは文字通りの意。類句にイタリアでは「古い酒、古い油、そして古い友」、フランスには「古い愛と古い燃え木はいつの季節でも燃え上がる」がある。

風呂桶でごぼう洗うよう

ゆったりしていること。「風呂桶でだいこん洗うよう」も同じ意である。

分米相応(ぶんまいそうおう)

身分相応の生活をすることをいう。

「へ」

平ニが瓜を作れば源太坐してそれを食う

要領よく自分は何もしないで、人の努力に便乗してうまいことをする意「侠客伝」に「おかげによりて親の仇を撃ちとらるることあらば、平ニが耕し耘(くさぎ)る瓜を源太が坐してくらうといいけん鄙語にも似たる果報に侍り」とある。

可盃(べくさかずき)

漢文を見ると「可」という字はいつも下に置かれない。可飲(のむべし)可行(ゆくべし)可楽(たのしむべし)などたくさんある。可盃は下に置くと酒がこぼれるようにできている。その仕掛けは、底に小さい穴があいているので、そこを指の腹で押えて用いるのである。「醒睡笑」に「べく杯をたわむれに夏菊と名付けてこそ候へ、其故は、しもに置かれねばなり」。

へそ茶を沸かす

大笑いすること。大笑いすると腹の皮がよじれる。それはちょうど湯が沸き上るのに似ているので、このようないい方ができたのだという。

 

へたな庖丁百ぺん洗え

料理は下ごしらえが大切。そして材料をよく洗うことが肝要。また、用具も洗うことを忘れてはならない。洗うことは、料理を味よく作るコツ。

へちま野郎

人を罵倒する言葉。

蛇が蛙を呑んだよう

長いものが中ぶくれしている形をいう。江戸の川柳に「下女が帯、蛇が蛙を呑んだよう」とある。また「蛇が蚊を呑んだよう」は何か食べたが少しも腹に感じないことをいう。

 

部屋見舞に卯の花

部屋見舞とは花嫁の部屋に、祝いをいうために、または出産祝いにいく意。その場合、卯の花を土産に持って行くのはおかしい。 人に物を贈るにもその目的によって品物を選ばねばならない。

ぺろり山椒みそ

ぺろりと山椒みそを食べてしまう大食漢をいう。

弁当初め

弁当の名称は配当を弁ずる意で、安土城で初めて作られたという。 その昔、京都の智恩院では正月十九日から二十五日まで御忌があり、その時に参詣の人が用いた弁当を、春初めてのものなので、弁当初めといった。

弁当は宵から芝居は朝から

翌日の弁当を前夜に作り、午後からの芝居にいくのに朝早くから準備する。何事によらず、早く準備することをいう。

弁当鍋枕にならず

大は必ずしも小を兼ねないし、小は大の役に立たない。「准南子」に「蜂房鶏卵を容れず」とある。

弁当持ち先に食わず

弁当を持ち運ぶ者は人に先立って弁当を食べない。転じて、「金持ちは金を使わず」という意味に用いる。

「ほ」

房州の炒り倒れ

房州の人は炒り豆類が大好きで、経済を考えないで食べる。「奥州の飲み倒れ」というのもある。「南総里見八犬伝」(九輯十一)に、「茶頃はからき塩打の豆炒りは今も世話にいふ。げに房州の炒り倒れ、所がらとて物もなき」とある。

炮烙野郎(ほうろくやろう)

人をののしる言葉。
ほうろくは土製素焼の器で、炒り物蒸発などに用いるもの。従来はどこの家庭にも一枚は必ずあったもの。その代りを今はフライパンがしているといえる。ほうろくはこわれやすいから、売り手も、いくつかの破損を見越して値段をつけるが、コストが安いので売値もそう高くはない。古くは「ほうろくの一倍」という言葉がある。もう一つの「土焼の一盃」というのは、一倍を一盃にしたもの。「ほうろくのわれも、三年たつと役に立つ」というのは、つまらぬものでも永く保存しておけば役に立つという意味である。「ほうろく千に槌一つ」とは至ってもろいほうろくは千個あっても槌一つで叩けばわれてしまう、弱少の者はたくさんいても強蒙の前にはひとたまりもなく潰される、という意である。

 

法論(ほうろん)みその夕立

物を損うことを恐れるたとえ。
「母衣武者(ほろむしゃ)の夕立」が転訛(てんか)したものである。

頬がえしがつかぬ

口の中に、食物をいっぱい詰込んで、もぐもぐやっていること。
転じて物事に失敗して取りかえしのつかぬこと。

干だいこんに湯をかけたよう

容積が著しく大きくなるたとえ。

牡丹餅で腰打つ

幸運がむこうから飛び込んでくること。「牡丹餅で尻を打つ」ともいう。「牡丹餅食べて砂糖の木に登る」など類句がある。英文では His bread is buttered on both sides. があり、直訳すると「彼のパンは両側にバターが塗ってある」となる。

牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない

牡丹餅のあんの甘味を強くするため塩を少量入れるが、たくさん入れると味がこわれて取返しがつかない。女性の口数の多いのを戒しめる下句を強調するための上句である。

牡丹餅は米 辛抱は金

しんぼうしなければいけないということ。「牡丹餅は米」は、強めるために添えたもの。

ぼちぼち三升

ぼちぼち落ちる酒も、たまればすぐ三升になる。特に酒の滴ならば大切にしておけば後で楽しめる。酒好きの人の多い土佐では、そろそろいくということを「ぼちぼち参上」という。ぼちぼち三升のシャレである。

骨つなぎする

久びさにうまいものを食べること。まずいものばかり食べていると骨離れするといういい方もある。

骨までしゃぶる

残すところなく取り立てる。「骨をしゃぶって血に及ぶ」ともいう。

骨を炊(かし)ぎ子を食う

籠城して食糧が不足し、困っていることの形容。
長い籠城で食糧がなくなり、骨まで料理して食べ、それでも足りなくて子供まで殺して食べてしまう。

盆すぎて鯖あきない

盆にはしめ鯖を用いるが、その後では不用。時機を失したもののたとえ「盆過ぎての蓮葉」も同じ意。

盆三日は嫁と姑が仲良くなる

盆の三日は暑いから、盆用につくった料理も傷みやすい。姑も仕方ないから嫁にも食べさせるので、自然に二人の仲が良くなる。