世界に広がるキッコーマンしょうゆ

世界各地での広がり

1957(昭和32)年の米国サンフランシスコでの販売会社設立から半世紀以上が過ぎた今、キッコーマンしょうゆは世界100カ国以上で親しまれ、海外では8つの工場で生産されています。
海外でしょうゆを広めるポイントは、日本食の調味料としてだけでなく、いかに現地の食材や料理に使ってもらうかという点でした。
食材を選ばず、さまざまな料理に合うしょうゆの特徴を生かして、現地の食文化との融合を図ることがしょうゆを普及させるために大切だと考えたのです。
ここでは、世界の各地域におけるキッコーマンしょうゆの広がりについてご紹介します。


米国での展開

スーパーマーケット店頭でのデモンストレーション

スーパーマーケット店頭でのデモンストレーション

第二次世界大戦後、1950年代初めまでに来日した米国人は約300万人といわれています。こうした人々が日本の生活に慣れ親しみ、日本のしょうゆを使うことを覚えて帰国していきました。
キッコーマンは、1957(昭和32)年に米国サンフランシスコに販売会社を設立し、米国人に日常的にしょうゆを使ってもらうことをめざし、本格的に米国でのマーケティングを開始しました。
肉としょうゆの相性の良さに着目し、スーパーマーケットの店頭でしょうゆにつけた肉を焼き、試食してもらうデモンストレーションを行いました。現地の料理にしょうゆを使ってもらうため、しょうゆを使ったさまざまなレシピの開発にも取り組みました。開発したレシピを、レシピカードにしてしょうゆの瓶に掛けたり、クックブックにまとめて刊行したりして浸透を図りました。

米国で生まれたコピー ALL-PURPOSE SEASONING

1956(昭和31)年の米国サンフランシスコの新聞に、「KikkomanはAll-Purpose Seasoningである」との内容が掲載されました。日本語に訳せば「万能調味料」。以来、キッコーマンしょうゆのラベルには「ALL-PURPOSE SEASONING」と表記するようになりました。しょうゆは、食材や料理を選ばず、何にでも合う調味料です。半世紀以上前に、米国で生まれたコピーは、現在、世界中でさまざまな料理に使われるようになったキッコーマンしょうゆを象徴する言葉になりました。

テリヤキソースのラベル

テリヤキソースのラベル

地道な販促活動の中で、日本にある「照り焼き」を由来とした「Teriyaki」という料理が注目され、米国でのしょうゆの普及に大きな役割を果たしました。1961(昭和36)年に、現地社員の意見などを取り入れ、誰でもおいしい「Teriyaki」を楽しめるソースを開発し、米国向けに販売を開始しました。発売後、順調に売り上げを伸ばし、「Teriyaki」が米国の食文化に定着するとともに、米国市場での展開を加速させることにもつながりました。

米国ウィスコンシン州の工場(完成当時)

米国ウィスコンシン州の工場(完成当時)

米国市場は順調に拡大しましたが、商品供給は日本からの輸出だったため、運賃などの諸経費増加や輸送中の商品破損などが大きな課題となってきたことから、現地生産の検討を行い、工場建設を決断しました。
1973(昭和48)年、米国ウィスコンシン州に工場が完成しました。工場建設にあたっては、地域社会との共存共栄をめざし、現地社員の登用も積極的に行い、できるだけ地元の企業と取引を行うなど、「経営の現地化」をめざしました。
1998(平成10)年には、しょうゆのさらなる需要の高まりを受け、米国カリフォルニア州に2つ目の工場が完成しました。
今やキッコーマンしょうゆは多くの家庭に置かれ、日常的な調味料として愛用されています。


欧州での展開

レストラン「DAITOKAI」デュッセルドルフ店

レストラン「DAITOKAI」デュッセルドルフ店

欧州へ本格進出したのは、1970年代のことです。1973(昭和48)年、鉄板焼きレストラン「DAITOKAI」をドイツのデュッセルドルフにオープンしました。お客さまの目の前で肉や魚介類を調理し、しょうゆで味付けすることで、その味と香りを五感で楽しんでもらおうという取り組みでした。これは、レストランを出店することで、現地の人々にしょうゆの味を知ってもらう機会を増やし浸透を図っていくことが狙いでした。

ドイツでの店頭デモンストレーション

ドイツでの店頭デモンストレーション

1979(昭和54)年、ドイツに販売会社を設立し、欧州でのマーケティングを強化しました。国ごとにしょうゆの使い方やレシピを提案し、しょうゆの浸透に努めました。また、国際的な食品展示会もデモンストレーションの場として活用しました。

オランダの工場

オランダの工場

1997(平成9)年、オランダに欧州初の工場が完成し、欧州各地にしょうゆを供給する製造拠点ができました。
多様性に満ちた欧州市場で、しょうゆは新しい食文化を生み出しつつあります。


アジア・オセアニアでの展開

シンガポールの工場

シンガポールの工場

シンガポールでの店頭デモンストレーション

シンガポールでの店頭デモンストレーション

北米、欧州とともに、アジア・豪州でもしょうゆの市場開拓が順調にすすみました。
そこで、1984(昭和59)年、アジア・オセアニアへの製造拠点となる工場がシンガポールに完成しました。
1990(平成2)年にシンガポールに販売会社を設立、東南アジアでの市場開拓をすすめました。
これまでの米国、欧州と同じように、それぞれの国の食文化やマーケットに合わせた商品開発や販売活動を展開しています。

台湾台南の工場

台湾台南の工場

河北石家荘の工場

河北石家荘の工場

1990年に台湾台南、2002年に江蘇昆山、2009年に河北石家荘、それぞれの工場が稼働開始しました。
アジア市場においても、キッコーマンのしょうゆは、高品質な調味料として、広く支持されています。


南米での展開

南米での展開工場

ブラジルの工場

南米ではアメリカやシンガポール産のキッコーマンしょうゆを販売しております。ブラジルでは2020年に、キッコーマンしょうゆ等の製造及び販売を担う会社を設立し、本格的な市場参入を始めました。2021年からはブラジルの工場で生産したキッコーマンしょうゆの出荷を開始し、ブラジル国内でのキッコーマンブランドの浸透を図っています。


グローバルスタンダードをめざして

ドイツでのしょうゆを使ったランチパーティーの様子

ドイツでのしょうゆを使ったランチパーティーの様子

1950年代の本格的な米国進出に始まったキッコーマンしょうゆの国際化は、1970年代に欧州、1980年代にアジア、そして近年では南米に展開地域を拡大し、各国の食文化との融合をすすめてきました。今後は、インド、アフリカなどの新市場の開拓にも力を入れていきます。
「キッコーマンしょうゆをグローバルスタンダードの調味料にする」ことをめざして、日本や北米市場同様に、世界中でキッコーマンしょうゆを日常の食生活に浸透させ、地球をおいしい笑顔で満たすために、食文化の国際交流をすすめ、各国の食文化との融合を図っていきます。

 

米国の料理学校での講義風景

 

フィリピンの公設市場で販売されるキッコーマンしょうゆ

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