料理のことわざ か行

「か」

偕老同穴

一種の海綿の中に小さいえびの雌雄が入って住んでいるうちに身体が成長して出られなくなり一生をそこで過ごすことになる。人間夫婦も仲良く一生を送り偕(共)に老い、同じ墓穴に入る意である。

柿が赤くなれば医者が青くなる

柿が色づく頃は、気候がいいので医者にかかる人が少なくなる。病人が少なくなれば繁盛しないので医者は青くなるということ。「みかんが色づくと医者が代りに青くなる」と同様の意味。

 

垣根の竹の子

垣根にはえる竹の子と同じで、出ると取られる意。付合いで人中に出ると、何かと金が出ること。あるいは勝負事をして負けてばかりいるとにもいう。

粕から焼酎

初めは酒粕を少々食べても酔っぱらった人が、段々に酒量が増えていきしまいには焼酎を飲んでもこたえないようになる。

火中の栗

直接、自分には関係ない事柄に自分から飛び込んでいって、ひどい目にあうこと。イソップ物語の中の、猿のために猫が火中の栗をとってやろうとして、大やけどをしたという話から出た諺。

 

瓜田に履(くつ)を入れず

瓜畑にくつをはいて入ってはいけないというのではなくて、瓜田で脱げたくつを取ってはいけない、ということ。くつを取るのが、瓜を取っているように見えるからである。疑われるような行動は慎むべきだということである。

かぼちゃの当たり年

現在のかぼちゃは、品質改良によって肌も形も美しいものが多い。しかし江戸時代の初期に渡米して栽培されていた在来種は凹凸がはげしく醜いので、かぼちゃ野郎とかかぼちゃ頭などといって、人をののしる言葉に使われた。また醜女のことも意味したので、「今年はかぼちゃの当り年」とは、不美人の結婚が多い年という意。

雷汁

ふぐ汁の異名である。雷はこわいもの。ふぐも中毒がこわいので、この名ができた。

鬼に煎餅

たちまち食い尽くしてしまうこと。何事でも造作なくやってしまうこと。

鴨がねぎをしょってくる

鴨が突然現われ、しかもねぎをしょっている。鴨なべをすぐ作れるのでこんなうまい話は、そうそうない。人がうまい話を持ってくる。おまけにその話の中には二重三重にうまい話が入っていることをいう。しかし、そんなうまい話は落し穴がないとも限らないので用心した方がいい。

 

雁も鳩も食わねば知れない

雁の肉か鳩の肉かは食べた経験がない者にはその区別はできない。何事も素養がないと、物の値打ちの判定はできない。「食わざれば、その味を知らず」という諺もある。

「き」

きかずの一杯

酒を酌するのに初めの一杯は酒の飲否を聞かずに注いでもいいという。酒を好まぬ客は、固辞することがあるが耳をかさずに一杯を注ぐのが昔のしきたりである。しかし今はそんなことはしない。

きじも鳴かずばうたれまい

いわないでいいことを口にしたために、とんだ災難を招くことがある、の意。

 

狐とるなら油揚で

狐は油揚が大好きなので、それを餌にしてわなを仕掛ければ、難無く捕えられる。物事を実行に移すには、容易な方法を選んでやるのがいい。

 

木に餅のなる話

きわめて都合のいい話をいう。

木によって魚を求む

木登りして魚が捕れるわけがない。同様に、見当違いの見地からいろいろと注文しても何の効果もない。方法を誤ると、物事は成就しないというたとえ。

茸とった山は忘れられない

転じて、利得のあった場所は忘れられぬ、の意。

京の生鱈

昔、京都と東北、北海道とはかけ離れていたので、その地方で捕れる鱈を、生のまま京都に持ってくるのはむずかしかった。すなわち、非常に珍しいものの意。

切りなしより盛りなし

料理は作り方より、盛り方によってうまくもまずくもみられる。料理は見た目が大切の意。

禁断の木の実は甘い

禁じられると、それをしたり、見たりしたくなる。「旧約聖書」の創世紀の中に「園の中の木の実はどれをとって食べてもいいが、善悪を知る木からは取ってはいけない。もし、禁を犯して食べるなら、死を招くであろう」とある。

 

金の茶釜七つもあるよう

わが家が裕福であると大げさに言いふらすこと。

「く」

食い物もあるのに鉄砲汁

鉄砲汁は、ふぐ汁のこと。江戸の俳人・芭蕉はふぐを食べるのが嫌いだったらしく、「ふぐ汁や 鯛もあるのに 無分別」と詠み、江戸ではこの句が一般に使われていた。今のように、ふぐの毒素の本質や、その除去法を全然知らない当時では食べたらいつ中毒をするかわからないので、鉄砲と呼んで恐れられた。

食うてもその味を知らず

すばらしい料理や、おいしい果物などを口にしても、他のことを考えたり、仕事をしたりしていると、味が全然わからないことがある。何をするにしてもそこに気持ちがなくうわの空でやっていては目的を達せられない。

空腹は無上のソース

「すき腹にまずいものなし」と同じ意。ソースは洋食にはなくてはならない調味料であるが、空腹であることこそ、どんなソースも及ばぬ調味料といえる。ギリシャの哲人ソクラテスは「最上のソースは空腹である」といい、セルバンテスの小説「ドンキホーテ」にも、「この世に空腹ほど、すぐれたソースはない」と書いてある。また、ギリシャ、ローマ、ドイツには、「空腹は最上の料理人」。フランスには「食欲というソース以上のソースはない」という言葉がある。多少、用語は違うにしても、この種の諺はヨーロッパ各国にみられる。

 

腐れはまぐりで口が開かぬ

はまぐりなどの貝類は、死ぬと、煮ても焼いても口が開かない。転じて、あきれてものがいえない意。

腐っても鯛

もともといいものは、痛んでもそれだけの値打ちを失わない。人間の場合、地位、才能、教養、技芸などを有する者は、一度何かの理由でおちこんでも、やはり、値打ちがある。「ちぎれても錦」も同じ意。

 

くじらが捕れれば七浦富貴

くじらのような役に立つ大きなものが捕れると、その付近一帯がうるおう。転じて、利益の大きいこと。

食ってすぐ寝ると牛になる

これは子供たちの行儀をよくするための戒めの言葉である。しかし、現代医学の立場からいうと、食べてすぐ寝るのは消化促進のためにいいとか。

雲に汁

好天気が続いているが、急に雨雲が出て、降りそうになること。転じて、おもしろいことが始まりそうな気配、物事が調子よく運びそうであること。

食わず嫌い

食べてみればおいしい味が楽しめるのに、食べないで嫌いだという。同様に何事も自分で接してみないで嫌いだといってさけてしまうこと。

葷酒山門に入るを許さず

禅寺の入口には「不許葷酒入山門」と書いた石柱が立っている。山門には禅宗寺院の総称。
くさい匂いのする野菜類と酒は修業の妨げになるから、いっさい寺内に入ってはならないということである。くさい野菜とは、にら、にんにく、らっきょう、のびるなど多種ある。これら臭気をもつ野菜類を禁じるのは食べると精力が増進するので修業の邪魔になるため。古来ひるの名で呼ばれていたものをにんにくと呼ぶようになったのは、仏僧の間で密かに用いる者多く、その隠語として、仏道修業上大切な要素である忍辱(にんにく)を用いたことによる。

「け」

鶏口となるも牛後となるなかれ

鶏と牛とは大きさも違うし、格も違う。それにしても牛の尻尾よりは鶏口を選んだほうがいい。言葉をかえていえば、大きなものの尻についているより、小さいもののトップに立ったほうがずっといい。

 

下戸の粕汁

酒を飲まない人は、粕汁を食べても、酒かすの中に残っているわずかなアルコール分で酔ってしまう。

下戸の肴あらし

酒を好きでない人は、肴ばかり食ってしまうが、真の酒好きはそうは食べない。

下戸の建てた蔵はなし

酒は浪費だという人があるが、酒を全然飲まないからといって蔵が建てられるかというとそうでもない。酒と蓄財とは、直接のたいした関係はなさそうだ。

懈怠者の食急ぎ

怠け者は、仕事はしないが食事となると急いで食べようとする。

下駄と焼みそ

一見、似ているように見られるが、本質的には、大いに違うもののことをいう。

玄関で茶漬

玄関で茶漬を食べて、すぐ出かけるほど忙しいこと。

健康は富にまさる

いかに巨万の富をもっていても、身体が弱くてはしかたがない。健康と富を比べるなら、前者のほうがはるかにいいという諺である。出典は、「旧約聖書、経外典第30章」の「健康はあらゆる金にまさる」。ギリシャ、ローマの古い言葉にも「我は富者たるよりは、健康を選ぶ」とある。また、英国の諺に「健康なる者は、富者であるが、自分では富者であるのを知らない。」そして、次に「富なき健康はなかば病人である」と、もう一歩うがったことをいっている。

 

献上の鴨

江戸時代に、鴨を献上するとき脚を白い紙で巻いて飾りとした。転じてきれいな白足袋をはき、他はそれにつり合わないのをいう。また、履物にいいものを用いて、他の装身具とマッチしないものをいう。

献上物の鯛

とびきりいいものを選んでいるからピンとして、いかにも姿がいい。スマートでフレッシュな感じのもののたとえ。

「こ」

高飛の鳥は美食に死す

高いところばかり飛んでいれば安全な鳥も、つい下の方のうまそうな餌があると、それに誘われて罠にかかって命を失ってしまう。人もうまい話に乗らないほうがよい。

五月のくされ鯛

桜の花の咲く頃の鯛はいい味だが、旧暦五月ともなると、鯛の味はすっかり落ちてしまう。何につけても、時期というのは大切である。

穀つぶし

穀物を毎日食べているのに、ろくな仕事をしていない者をののしる言葉。

 

五臓六腑にしみわたる

五臓とは心、肝、腎、脾をいう。六腑とは、胃、胆、膀胱、大腸、小腸、三焦をいう。これは漢方医学の言葉。飲みたいときにいい酒を飲むと腹中全部にしみわたるような気がする。また、名言や訓戒などを聞き、大いに感動することもいう。

ごちそうか断食かどちらかにせよ

どうせ食べるなら、ごちそうがいい。もしそれができないのなら、むしろ断食して何も食べないほうがいい。転じて、どうせするなら大きいことをせよ、の意。

こちの頭を嫁に食わせよ

こちという魚は頭は大きいが、骨が多くて肉はいくらもない。そんな食べにくい部分を嫁に食べさせ、姑が嫁いびりをする、という解釈が一つ。また一方で、肉は少ないが味はよく、カルシウムを摂取するにも、こちの頭は申し分ないもの。だから嫁に与えるのだ、という考え方もある。

今年はかぼちゃの当り年

かぼちゃの豊作の意味ではなく、醜婦の結婚の多いことをいう。また、腕の鈍い者が、偶然に成功したことをいう。

ごまめでも尾頭つき

ごまめとは、背黒いわしの小さいものを煮干にしたものをいう。切身の魚とは違って、小さい魚とはいっても、完全な姿を備えているというプライドがある。転じて、力はなくとも、一応一国一城の主であるという意に用いることもある。

 

こんにゃくに馬をつけたよう

ぐらぐらして不安定な形や、ふらふらして落ち着かない人のことをいう。

こんぶにさんしょう

「みずから」という名の菓子がある。こんぶとさんしょうが、おもな材料であるが、両者は味の点でお互いマッチするから、でき上がった味がよい。何に関しても、二つ以上の材料がしっくりと合うものでなければ、いい味のものができないということ。竹の子に若布、こんぶとたら、などもその一例。