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過去の展示

四季を巡る江戸庶民の行事と暮らし
春 雛祭り、花見
春 雛祭り、花見 3月3日は五節句の一つ、「雛祭り」である。江戸のはじめの頃は紙雛に菱餅と白酒ぐらいであったが、江戸中期ほどから次第に華美になってくる。雛人形一式を売る市は「今日より三月二日迄雛人形同調度の、市立つ街上に仮屋を補理ひ、雛人形諸器物にいたるまで金玉を鏤め造りて商ふ、それを求むる人昼夜大路に満ちてり、中にも十軒店を繁花の第一とす」(『東都歳時記』―天保9年・1838年)とある。十軒店は現在の中央区室町3丁目の隣になる。
白酒は神田鎌倉河岸の豊島屋のものが江戸随一であった。売出しの日は竹矢倉を組んで人の列を整理し、販売した。雛の膳には菱餅赤飯と並んで蛤や蜆の具の汁がつきものだが蛤は深川、蜆は業平のものが名物であった。

四季折々に咲く花は多いが、桜は古くから、人びとに親しまれてきた。江戸の花見は上野、飛鳥山、御殿山などが名所としてにぎわい、遠くは一夜泊りで小金井の桜を見に出かけ、ついでに国分寺、府中の大国魂神社に参詣する人達も多かったようである。江戸随一の桜の名所は隅田川堤で「樹下に宴を設け、歌舞して帰を忘るゝは、実に泰平の余沢にして、是なん江都游賞の第一とぞいふべかりける」(『東都歳時記』)とあり、多くの人びとが訪れていたことを示している。また、花見には桜餅がつきもので、今も隅田川畔にある「山本屋」、通称長命寺の桜餅が有名である。文政7年(1824年)の調べで、桜の葉が31樽分、1樽につき約2万5千枚というから77万5千枚、餅1個につき2枚の葉で包むので、38万7千5百個の桜餅が人々の腹の内へ消えていった勘定になる。(『兎園小説』―文政8年・1825年)
桜餅/「三ツ会姫ひゐなあそびノ図」
桜餅/「三ツ会姫ひゐなあそびノ図」
雛祭り、花見